1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

過去の人たちの話

わたしには4年お付き合いをした人がいた。婚約者には2年お付き合いをして、結婚までした人がいた。
彼の家をはじめて訪れた時、片付けが苦手な彼らしいといえばそうなのだが、家にはまだ前妻の気配が至る所に残っていた。そもそもそんなものがまだ残っている、という認識もなかったと思う。前妻の残した大事そうな或いは高価そうなものはまとめて「送ってあげなさい」と婚約者(当時は恋人だったが)に伝え、消耗品の類は使えるものは使ったが、ほとんどはゴミ箱に収まっていった。傷つきはしなかったが、変に感情移入をしてしまってしばらく大変だった。哀しくて哀しくて仕方がなかった。彼女はどういう気持ちでこの家に荷物を運び込み、そしてどういう気持ちで出ていったのか。生活の至る所に表れるその様子やその感情が、わたしには鈍い刃のようだった。

それらがすべてわたし色に染まったとき、はじめて「家」という感じがした。はじめて自分の居場所ができたような気がした。今までは彼女の影に怯え、自分が異質なもので、本当はここにいてはいけないような感覚だったが、それがなくなった。しかし時折、彼女の存在がちらつくのだ。うまくいかなかった結婚生活の話をする婚約者はひどく悲しそうで、彼女に言わなければならないこと、あるいは償いをしなければいけないかのような言動を稀にする。そうなったとき、わたしはどうすればいいのかわからなくなる。慰めることしかできないのだ。彼の過去は消えないし、消してほしいとも思わないのだが、今ここにいるわたしは過去の感情に何の影響を与えることができない。わたしは無力なのだと思い知らされる。そして様々な感情が複雑に絡み合って「いっそ前妻とうまくいっていればよかったのに」とさえ思う。そうすれば婚約者がこの悲しみを背負うこともなかっただろう。なれやしないのに、なんとか支えになりたいと願ってしまう自分自身のこの無力さも生まれなかっただろう。

以前掃除をしていたら、婚約者が過去に付き合ってきた女性たちの手紙を見つけてしまった。もう何年も前のもので彼自身も単に存在を忘れていただけらしかったので、まとめて机の上に置き、目を通したら処分をしておいてくださいと伝えた。彼はそれに難色を示し、その後また忘れていまだに処分をしていないと思われる。今となってはどうでもいいことだが、あの時はさすがに反論した。なぜ処分をしてほしいのか、処分をしないことによってうまれる感情がどのようなものなのか。自分なりの考えを伝えたのだが、まあ共感など一ミリも得られなかったと思う。しかしまあ、わたしからすれば無意味な紙切れでも、彼にとっては大事なものなのだろう。

 

わたしだって以前付き合っていた人のことを思い出すこともある。お互いのSNSは鍵垢なのでもう見れないし連絡先もとうの昔に削除したが、元気にやっているのかな、と考える。ずいぶんと揉めて別れたのでひどく恨まれたが、だからこそ立ち直れているかどうかが気になる。別れてからおそらく4年近く経つが、2度ほど夢に出てきたことがある。夢の中のわたしは彼に「わたしは今しあわせだよ」と伝えたし、彼もまた、別の人と結婚をしていた。それでいいのだ。

 

なにも悲観することなどない。人が出会い、そして別れるのは至極当然のことである。わたしは自分が婚約者の過去の女性よりも劣っているなんて思っていないし、悔しいとも、うらやましいとも思わない。わたしはわたしで、今は今なのだ。

しかしたまに思う。婚約者と前妻がうまくいっていたらどうなっていたのだろう?どんな人生を歩んでいたのだろう?元彼と別れたわたしは、べつの人と知り合っていたのだろうか?だとしたら、どんな人なのだろう?ふしぎと、わたしが元彼とうまくいっていた未来はまったく想像できないし、したこともない。彼はあっさりと過去の人になって、そして過去のままである。振り返ることはなかった。これが男女の差なのだろうか。「女性は上書き保存、男性は名前をつけて保存」というフレーズは昔からあるが、婚約者と自分を比較すると本当にそうなんだな、と思う。彼が過去のラブレターを捨てなかったのは「それも人生の一部で、思い出だから」とのことだった。共感はできないが、ギリギリ理解はできるかもしれない。しかしわたしはそういうのを見てネタにしたりなどできない。何よりも先、それを書いて送った時の心境を想像してしまうからだ。しあわせだったあの頃のことを想像しては、悲しくなってしまうからだ。まったく、面倒な性格である。