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1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

縄張り意識の話

縄張り意識

縄張り(テリトリー)を意識すること。縄張りに反する他個体を排除する縄張り行動が見られること。

はてなキーワードより

よく考えてみると、わたしはこどもの頃から縄張り意識が強い気がする。どれも自分のエゴ丸出しのわがままな欲望であるのだが、とりあえず3つのカテゴリにわけて考えてみる。

 

1. 行動範囲の域

ストレートにわかりやすく「自分の物理的な縄張り」を持っている。たとえば昔通っていた小学校裏の公園はずっとわたしの遊び場であって、そこを荒らされるのを何よりも嫌がった。あの公園はわたしの所有物ではない。利用者もわたしだけではない。わたし以上にあの公園に足を運んで、あの公園を愛している人なんてたくさんいる。そんなのわかっているさ。でもそこじゃない。「ここはわたしが遊んでいる地だ、大事に使え、いいところだからぞんざいに扱うな」という感情を抱いていた。「おいにわか、そんなところ見るもんないぞ、バラ園を見るならこっちルートのほうが早い」という上から目線の先輩ヅラをしたくなる。攻撃的な感情ではないだけマシか。
他にも物理的なエリアを挙げるならば、自分の地元全体。繁華街だったり、ちょっと危なげな裏通りだったり。上記の公園の例と同じで「知ってるやつはこんなところに来ないぞ、穴場はあっちだ」という地元民ヅラ。攻撃的になるとするならば、「俺詳しいんだぜ」と得意げに有名スポットだけ挙げてる人に対する嫌悪感くらいか。「ちがうそこじゃない、ほんとに詳しいのか?人気スポットのまとめ記事を読んだだけだろ?」と決めつけてしまう節がある。頭の中だけに留めているので口に出すことはないが、まあそれでも心の中ではそんな悪態をついているのでどちらにせよ優しくはないな。


2. 仕事・得意分野の域

わたしが得意なところには踏み込まないでほしい。学生時代、グループワークで仕事を振り分けたのに、わたしが担当しているものをやたら手伝おうとする同級生がいた。べつにわたしの作業が遅れていたわけでもなく、クオリティが低かったわけでもない。何かその同級生の不安を煽る雰囲気を出していたのだろうか?あるいはただのお節介か。とにかくわたしは許せなかった。わたしが得意としているところで、わたしが責任を持ってやるところなのに、なんだおまえは。出ていけ。

仕事でも時折起きるからストレスが溜まる。わたしが担当している業務に別の人間が入ってこようとすると「ふたりもいらん、わけがわからなくなるから分けてくれ」と思う。○○といえばグラムさん、という地位は業務上とても便利だし、自分のモチベーションや自信にも関わってくる。何かに特化して、誰かが頼ってこれるほどの実力を身につけている、ということは非常にやる気が出る。境界線をあやふやにせず担当業務をはっきり分けたいタイプなので、「やりづらくなるからやめろ」という気持ちと「わたしが責任を持っているテリトリーに入ってくるな」という気持ちがある。

 

3.交流関係の域

このカテゴリがもっとも複雑なように思える。上2つ以上に強い不快感を示す。様々なパターンがあるが、大変エゴイスティックかつ排他的なのは承知の上でふたつ挙げる。
a) わたしの仲良しゾーンに入ってくる人
b) 親しい人しか呼ばない呼び名でわたしのことを呼んでくる人

上の例はわりとわかりやすいと思う。わたしはもともと仲良しゾーンが狭い上に人見知りなのもあって、そこに別の人が入ってくると自分の居場所がなくなってゆく気がしてつらくなる。やだ、だれ、あまりしらないひと、でていってほしい、という感情を抱く。もちろん、そうやって紹介されて仲良くなるパターンもきっとあるのだが、それ以上にリスクのほうが多くて嫌になる。時間をかけて実現することができたわたしの仲良しゾーンは安らぎを得られる「家」なので、外部の人間は脅威でしかない。頼むからわたしの交流関係に入ってくるな、と強く願う。

b の例は「なんだおまえ勝手に仲良しゾーンに入ってくるなや」という感情だ。呼び名くらいなんでもいいだろ、と思うかもしれないが、嫌なものは嫌である。難しいのは、その呼び名は必ずしも親しさを醸し出しているわけではない、ということだ。別段親密さを持たないようなふつうの呼び方でも、それが親しい人からの呼び名と被っている場合は完全にわたしの中ではアウトである。無難だと思いきや地雷だった、ということもおおいにありうるので厄介。というわけでわたしの名前に君をつけて呼ぶ人間はたとえ冗談でも許さない。

a の感情があるので、その逆の場合もわたしは少し戸惑ってしまう。だれかの仲良しゾーンにわたしが踏み込んでしまう時は、それがどれほど嫌なものなのか身を以て知っているので、とてつもない不安を抱く。わたしは間違ったことをしている、という錯覚に陥る。わかりやすい例を挙げるなら、パートナーの友人の集まりに初めて顔を出した時は緊張しすぎて吐きそうになっていた。嫌がられないかな、だれかの居場所を脅かす存在にはなりたくない、と(自意識過剰?知ってる知ってる)。もし本当に嫌がる人がいるのなら、入れない。恐怖と罪悪感で何もできなくなる。ここでよく勘違いされるのだが、わたしは「入りたくなくない」わけではない。入れてくれるなら入りたい(でも a で書いた通り自分からはあまり入れたくないタイプなのでただのわがままなクソ野郎である)。しかし拒絶された時のショックが本当に大きいので、もしそうなったらどうしよう… とやってみる前から不安でいっぱいになるのだ。ありがたいことにこの友人のみなさんには優しく接してもらえた。わたしはそんなに優しく迎え入れることはできない気がするので自分の器の小ささに辟易したが、それはまた別のおはなし。

b の逆パターンもある。親しい人しか呼ばない呼び名で自分の仲良しゾーンの人が外部の人間に呼ばれると死にたくなる。実例ではないが、似たようなシチュエーションとして友人 C という架空の人物を例にしてみよう。友人 C とはお互いに仲良しゾーン入りしていて、わたしは C のことを「C 子ちゃん」と呼んでいるとする。「C 子ちゃん」という呼び名は C に「こう呼んで欲しい」と指定された呼び名ではなく、わたしが仲良くなった頃からずっとそうやって呼んでいるだけだ。 C は嫌がってなく、その呼び名がわたしたちの間ではスタンダードとなっている。しかしある日、わたしの仲良しゾーン以外の人間 X が、C のことを「C 子ちゃん」と呼んでいるのを聞いてしまった。死にたくなった。嫌で嫌で仕方がなかった。X が C の仲良しゾーンにいるかどうかなんて関係ない。関係あることは「わたしの仲良しゾーンにいない」かつ「X よりもわたしのほうが C と仲が良い」ということである。自分よりも C との心理的距離が遠いはずの X が、親密な(少なくともわたしにとって親密な)呼び名を口にしているのが許せなくて許せなくて仕方がなかった。ひどい嫉妬のようだが、実際はわたしの中のだと a に似ていて「安らぎゾーンを脅かされている」という恐怖のほうに近い。わたしのポジションなのに、と居場所を脅かされて、もう安心できる場所ではなくなったような気持ち。X に対する嫌悪感はあまりない(というか X は別に悪くないから当たり前なんだけど)。呼び名が被っている、という事実に対して嫌悪感を抱く。クソ以外のなにものでもない。そしてそんな自分のクソさも嫌になる。これでもう立派な自己嫌悪のスパイラルが出来上がる。


いくつかのパターンを挙げたが、こうして縄張りを脅かされたわたしはとてつもない破壊衝動に襲われる。破壊の対象が縄張りそのものだから面倒である。縄張りを壊す、というよりは、わたしが離れてしまいたくなる。もう完璧なシャットアウト状態。損しかない行為だが、耐えられないのだ。他者に影響が及ぶほどの縄張り破壊は(かろうじて)良心がはたらいて思いとどまるが、自分から離れていって自分自身の縄張りをなかったことにしたくなる。

こうした自分自身の反応についてさらに考えると、ほかにもいくつか当てはまる傾向がある。たとえば「ルーチンに執着して、そこから逸脱するのが嫌」なこと。やり慣れたもの、見慣れた日常に変化が訪れると死にたくなる。2 の得意分野の例や、3 の呼び名の例なんかがこれに当てはまる気がする。もうひとつは「嫌なことが起きたり、誰かとの距離を感じたら、自分から離れていってさらに距離が広がる」ことだったり。なんとなく誰かと噛み合わなかったりすると、悩むのも不安になるのも嫌になってガラガラと心のドアを閉めてしまう。距離を置いてしまいたくなる。シャットアウトしがちな自分の性格が縄張り意識にも濃く現れている。

しかしまあ、ここまで書ききってなんだけど、わたしは扱いづらいを通り越してただの害悪なのではないか…?