1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

2016年を振り返って

2016年。ひとつひとつの出来事を思い出せば、とても長い1年だったように思う。中身が濃く、感情豊か。しかし「2016年」という大きな枠で考えると、なんだかあっという間だった気がする。こんなに短い時間の間に、あんなにたくさんの出来事が起きたのか、と。

わたしの2016年を一言であらわすと、「発見」の年だった。
「発見」に紐付いて、「家族」も大きなテーマだった。

春に引越しをした。大学時代は寮生活だったが、自分で部屋を借り、すべての費用を支払い、食事を作って暮らすというのは初めての体験だ。一人暮らしは自由。一人暮らしは気楽。一人暮らしは家事が忙しい。一人暮らしは自己管理能力が試される。
また、引越しをすることにより家族との距離感について悩み、そして今も考え続けている。将来的にどのような関係性を築きたいのか、というビジョンがあればまだやりやすいものの、方向性が定まらぬままわたしは中途半端に離れて、近づいて、傷ついて、恋しくなった。それでもわたしには「離れる」という選択肢があるのだと発見した。

他者の家族に触れることによって、家族とはこういうものなのか、こういう形で存在することもあるのか、と驚いた。自身の家族と似ていると感じるところについて考え、そしてまったく違うと感じるところについても多く考えた。わたしが目指す家族の形とはどのようなものだろう。今後わたしは「家族」とどのように付き合ってゆくのだろう。新たな発見とともにうまれる、新たな問いかけ。正解などないからこそ、疑問や不安も抱く。家族というものに対する思いやりが欠如していることに気づいて、わたしは心が冷たい人間なのか、と考えた。家族だから、という理由が理解できなくなった。家族だから無性に愛せるのだろうか。家族だから思いやるべきなのだろうか。わたしが「家族」を大切にする理由は、もしかしたら、ただの義務感なのかもしれない。


2016年は、誰かれ構わず近づくことはやめて No とも言えるようになった。体調が優れないとき、気分が乗らないとき、苦手な人がいるとき、無理をして出かけることがなくなった。それは失礼なことではなかったし、下手に関わろうとしてダメージを負うよりはよほどマシだった。また、今まではとにかく知り合いの輪を広げ続け、どこかで心の余裕がなくなり、その反動でしばらく精神的に落ち込む、ということを繰り返していた。そういう付き合い方はやめるように気をつけ、他人との距離感を模索していろいろと発見していった。今まで高いハードルを設けていた「友達」を作った。自己開示をしてもよい、そして向こうもわたしに対して自己開示をしてくれると嬉しい、と思える人間たちだ。そういう人間ができるのはわたしにとってはずいぶんと新しい経験であった。

 

職場でも発見がいくつかあった。自身が上司や同僚にどう見られているのか、なにを期待されているのか。仕事に関する印象はもちろんだが、職場での振る舞いや仕事上のやり取りを通してまわりが抱くわたしへの印象など、興味深い意見がいくつかあった。今後もゆるく、のんびりと、仕事をしていけたらよいと思う。

 

さて、2017 年になったので何か抱負を考えたかったのだが、残念ながら今年のわたしには抱負がない。いや、正確には、自分のための抱負がない。びっくりするくらいに思いつかない。できれば他者に尽くしていきたい。わたしのしたことがだれかの、あるいは世界の、ためになるのなら、わたしはそれを抱負としていこうと思う。