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1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

Q2 のまとめ

振り返り

7月に入った。Q1 のまとめに続き、4月から6月にかけてのわたしの人生を振り返ってみる。


4月。まずひとり旅をした。週末を利用して京都に行き、ひたすら歩いた。地図のログを確認すると、約20キロ。すこし日差しが強かったが、天気がよく、楽しく散歩をすることができた。東京ほどの喧騒はなく、山がそびえ立ち、空虚な心がすこし満たされた。東京に戻った後、なんとかしたい、とずっと思っていた髪を切りに行った。たかが散髪、と思うかもしれないが、わたしにとっては一大イベントである。わたしははじめて、自分の意思で選択を行ったのだ。

5月。飛行機に乗って海を渡った。不安に思っていたことを、「わたしにはできる」と確信することができた。そしてこの地のことも好きになれた。緑がある、山がある、星が見える。嗚呼、これでこそ生きている実感が湧くものだ。人工物にばかり囲まれて、見渡すかぎりの人、見渡すかぎりのコンクリート、見渡すかぎりのネオン、そんなの、紛い物ばかりだ。この月は日本に戻ったあともずいぶんと楽しかった。良い人たちを紹介してもらった。趣味と呼べそうなものができた。はじめて金沢を訪れた。ここでもやはりすこし市街から外れた宿を選び、霧が濃く星が煌めく夜を堪能した。夜半に聴こえるのは自動車のエンジン音でも酔っ払いの怒号でもなく、近所迷惑も甚だしいほどの蛙の合唱であった。

6月。再び飛行機に乗って海を渡った。前回訪れたときよりも心が、感情が、こもってしまった。葛藤をしながら、悩みながら、それでも与えられた数多くのやさしさに感謝をしながら、じつに必死に生きている。淀んだ眼でとにかく1日でもはやく人生を消耗することばかり考えていた高校時代の自分とは雲泥の差である。わたしは間違いなく救われている。


わたしは相変わらず「考える」という行為をやめることができずにいる。思考をなくすということはわたしの中では無を意味するので決して悪いことではないのだが、わたしは少々思考に時間を費やしすぎているような気がする。思考は自然と起こるので、仕事中であっても、人と会話中であっても、読書中であっても、ゲーム中であっても、気づかぬうちに考えが羽根を生やしてはふわふわとどこかへ飛んでいっている。声をかけられてふと現実に引き戻されることが何度もある。さらに厄介なことに、わたしの精神は思考に強く影響される。思考に引っ張られた結果一日中哀しみにたゆたうこともあり、ひどいときは思考上でしか存在しない仮説に涙を流してしまうことだってある。思考をコントロールするべきか、と最近思うが、どうも難しそうだ。

ついでに今期は数ヶ月ほど気まずいままだった両親と和解をした。正確には何も話し合っていないし、お互い何も理解をしていないので「和解」ではないが、腫れ物を扱うような態度も、よそよそしい態度も、どういうわけか突然なくなった。日常会話ができるようになって、多少は気が楽になるかと思ったが、案外そうでもなかった。引き続き距離は保ったままにしたいと思う。

Q3 はなにを目標にしようかすこし悩んだ。抱負というものを考えるのは少々苦手である。自分に今できることを見つけ出して、ひとつずつ確実にこなすことが大事な時期だと思う。目標をしっかり見据えて、すこしでも近づけるようにもがくだけだ。