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1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

死ぬことの意味の話

夢の話 - 挨拶と死ぬことに、自殺よりも事故死などのほうが大切な人を傷つけずに済む、という話を書いた。
ふと夢の詳細が今更ながら脳裏に浮かび、いろいろと思考を誘発させてしまったのでとりあえず書き留めておくことにする。

なぜ自殺よりも事故死なのか、という点について、夢の中の知人は「あのひとが自分を責める材料をひとつでも少なくしたいから」と言った。自分が気にかけていた人間が自殺をするということは、じつに悩ましいことなのだ。なぜ自分には何も言わなかった。なぜ自分が気付いてやれなかった。なぜそばに居てやれなかった。様々な「なぜ」は自分とその人間との関係性に基づいて生まれるものである。一方、事故などは、なぜあの人が死ななければならなかった、なぜあの日あの場所から連れ出さなかった、なぜ自分だけが生き残っているのだ。と、この場合の「なぜ」は死んでしまったという事実に基づいて生まれることが多い。

わたしは自らの死についてよく考える。わたしが死んでしまったあとの世界、わたしが死んでしまったあとの人間の心の揺れ、わたしが死んでしまったあとの忘却。

そして時折、想像の範疇を越えてみたい、とも思う。わたしの歪んだ心や加虐的な愛情が深く根付き、死という爆弾をいつ投下しようか、と機をうかがっている。これは一種の呪いでもある。大切なひとがわたしのことで悩み、哀しみ、そしてもがくように仕向けてみたいのだ。わたしの死を知ったとき、どんな反応をする?どんな感情が渦巻く?どんな思い出が頭を過る?そうやって大切なひとに爪痕を遺すことを想像し、寂寞の世界に耽る。実際のところは現実に生きるほうがよほど実りがあって満たされることも多いのだが、どうも死の妄想というものはかれこれ10年ほど続く習慣のようなものである。