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1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

子が親に嘘をつくということの話

価値観 振り返り

わたしは嘘つきである。親に数えきれないほどの嘘をついてきた。
同時に、十ほど歳の離れた弟がいるので、親の心境もすこしは理解できる。

親に嘘をつく理由、それはずばり「面倒だから」である。
いちいち自身の事情を説明しなければいけないことが面倒で、なにかと言及されるのを防止するために嘘を重ねる。いちばん多いのが「だれ」と「なに」をしに出かけるのか、という嘘だ。知り合いと会う場合、その知り合いとの関係性をいちいち説明するのも大変で、そしてさらにその「なに」について苦言を呈されることだってあるのだ。あまり興味のなかったことでも一度行ってみて体験したら変わるかもしれない、という論でわりかし幅広いことにチャレンジしていたわけだが、「どうしてそんなこと」「あなた興味ないでしょう」「時間の無駄なのでは」と、親は眉をひそめてきた。もちろん怪しい人間と会ったり、危ないことをしたことはない。些細なきっかけで知り合いになった人とごはんに行く、であったり、寄席に行く、であったり、何かのイベントに行く、などであった。

交流関係も面倒だったが、とくにひた隠しにしたのは自身の恋愛関係であった。中高の頃は俗にいう恋話、というものを親と楽しくしてきたものだが、実際に自分に恋人ができると、なにも言い出せなくなってしまった。心配する親の気持ちはわからなくもないが、あまりにも踏み込んだ質問をしてくるのが嫌だった。どんな人・何をしている人・知り合ったきっかけ、などはまだ良いとして、ご実家はどこ・ご両親は何されてる人、はもはや他人のプライバシーに踏み込んでいる気がする。さらに、その恋人とわたしとの普段のことについて聞かれるのも嫌であった。どこに出かけたのか・何を食べたのか・どのくらい親密なのか、などはまあ人によっては親に話せるのだろうが、わたしはどうも気まずくて避けたい話題であった。結果として、以前5年ほど付き合った人との関係性は最後まで隠したままであった。5年間ずっと、恋人と会うときは適当な同級生の名前を挙げてごまかした。実家にいるときは恋人と連絡をとるときだってこそこそと親の目を盗んでいたし、携帯を勝手に見られるということはなかったもののたまたま画面が見えてしまうことを危惧して連絡帳の名前を偽装し、連絡の通知も切った。どこのお家元よ、とつっこみどころは満載だったが、リスクは最小限に抑えたかった。親に知られてそれに対応する面倒は、隠し通す面倒をはるかに上回っていた。他にもいくつか要因はあるが、こういうこともあって、仮にわたしがいずれ同棲であったり結婚をすることになったとしても恋人を親に紹介することに激しく抵抗を覚える。


親からすれば、子には正直であってほしい、と思うだろう。単純にわたしが構いすぎるからなのかもしれないが、わたしが親だった場合、子とは良好な関係を築きたいと思う。子が困ったときに安心して頼ってきたり、わだかまりなく相談事を言ったり、反抗をしたとしても根はやさしい子であってほしい。上記のわたし自身の話とは矛盾するが、子がどこかに出かける際は、負担に思わずに報告してほしい。それは安全面を考慮すると当たり前である。たとえばわたしの弟が友達と遊びに行くとき、もし帰ってこなかったり、そのほか何かがあった場合、「だれ」と「どこ」に行ったのかを事前に知っていれば弟のお友達のご両親に連絡がとれるし、行き先を訪れて探すこともできる。まるで手がかりがない、という状況に陥るのは避けたい。

しかし残念ながらわたしはだめな子であった。成人した今でも数々のことを言い出せずにいる。それは苦痛でもあるのだ――わたしとて親に隠し事をしたいわけではない。かといって親のせいにする気もなく、ただただ、仕方がなくて残念な気持ちである。最初に親に嘘をついた日からずいぶんと経つが、それが癖となり、以後隠し事をして生きてきた。何年も経った今、わたしが成人している今、両親が老いた今、もしかしたら事情は変わっているかもしれない。親の言及は言うほど苦痛ではないのかもしれない。しかし、今更正そうなんて気が起きないのである。もしも何も変わっていなかったことが判明したときの落胆を想像すると、わざわざ試してみることもないだろう、と諦めてしまう。かつておおいに悩んで辿り着いた深い理由はもうすっかりと褪せてしまった。意味もなく惰性で嘘を続ける、ともいえる。親不孝であるのかもしれないが、それもまた、どうしようもないことなのだ。