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1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

自分の居場所が迷子の話

価値観

わたしは自己評価が低いので、他のことはたとえポジティブ思考でいても、自身に関するさまざまなことはわりと悲観的であったりする。

会社のイベントや、知り合いの飲み会などに誘われると、いつも悩む。知らない人がいた場合、あるいは何かの集まりだった場合、わたしがそこにいても良いのだろうか、と思うのだ。単に人見知りであることが原因ではない。わたしの居場所がないことを危惧しているというよりは、もともとの居場所がないところにねじ込んでゆくことに引け目を感じている。

いつも飲んでるメンバーで集まるけどどう?と誘われるのはうれしいことではあるのだが、わたしがそこにいても良いのか?と思う。不安はいくつかあって、まず第一にわたしをよく知らない他の参加者に「だれ?」と怪訝な目で見られるのがまず気まずい。みなさんが築きあげてきたものを、わたしは共有していない。気を使われるのだろうか、とも思う。次に、話についていけない展開を想像する。わたしはもともとその輪に入っていないからこそ、理解できない話があったり、あるいはわたしの話が理解されなかったりすることがある。こうなると気まずい。最後に、前述の理由のせいで、わたしはさらに自己嫌悪の沼にずぶずぶと沈んでいってしまう可能性が出てくるのがこわい。もちろんうまくいくときもあるので一概には言えないのだが、もし気まずかったり、なにかが噛み合わなかったり、たのしいと思わせることができなかった(あるいは自分が楽しいと思えなかった)場合、ああ、もう少し愛想よくできたら、もう少し自己肯定ができていたなら、もう少し自分自身に価値があったのなら、と考えこんでしまうのだ。まわりの人たちが仲よさげにしているのはじつによろしいことで、楽しそうにしている人間を見るのはとっても好きなのだが、ふとした瞬間に「あ、自分もこの場に居るのか」と当たり前のことを思い出し、そして「居る」のに居ないような感覚に焦燥感を覚える。話の中心になりたいことや、構ってほしいこととはわけが違う。わたしの知らない世界があって、そこにぽっと出の自分が異物のように置かれている状況が少々耐え難くなるときがある。わたしには触れることのできないところなのだと、自分の価値の低さを突き付けられているような、そんな否定的な感情。

しかし厄介なことに、こうして不安にはなるが、決して嫌ではないのだ。まったく、面倒くさい人間である。誘ってくれるということは、わたしの存在を煩わしいと思っているわけではない、ということであると思う。人によってはとくに深く考えずに誘ってくる人もいるわけだが、まあ本当に嫌だと思っているなら誘わないだろう。少なくとも嫌われているわけではない。こうして知らないコミュニティに投げ込まれて、それがうまくいって新しい知り合いができたこともたくさんある。ありがたいことである。ありがたいのだが、やはり、わたしの自信の低さが改善されることはなかなかない。