1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

知らない人を憂う話

会ったこともない人間について考えることが多い。その人のことをよく考えては、かなしくなったり、切なくなったり、もどかしくなったりする。所詮知らない人なので、わたしは聞いた話や自分のもつ人物像から推測することしかできないのだが、それでもどうしてこうも感情移入をしてしまうのだろうか。どうだろう。感情移入なのだろうか。たしかに感情移入してしまう瞬間もあるが、そうでない瞬間もある。その人の思考回路、行動パターン、日常のようす、決断、その結末、さまざまなものを想像してみる。


思えば、知らない人について考えてしまうことは以前も何度かあった。母に聞かせられただけの、遠い地にいる親戚の話。同級生が語った、自身の亡き叔母の話。

その全員に共通するのは、かなしみや、あわれみの感情である。その知らない人間たちは皆、何かしらのかなしみを覚え、ひどいときは不幸を蒙り、そして望まぬ結末を迎えたのだ。わたしの精神はそのようなひとたちにどうしようもなく惹きつけられ、時にはそのひとになりきり、時にはそのひとと親しい人物になり、時には第三者のオブザーバーとなるのだ。


わたしがさいきんよく考えている人は、きっとすてきで、やさしくて、無邪気なひとだったのだろう。ほんの僅かな後ろめたさに苛まされるも、この罪悪感に意味などなく、なにも生まなければなにひとつ救済にもならないのはわかりきっていることだ。わかっていても、ただひたすらに想像力をかきたてては、その人と一緒に泣いてみたり、その人の親しいものとして同情してみたり、そして傍聴者として客観的に評価をしてみたりするのだ。決してつらいことではなく、もちろん感情移入して胸が締め付けられることはあれど、わたしにとっては思考の題材のひとつであり、人というものをより深く理解しようとする手段のひとつである。楽しさ、と言うとずいぶんと語弊があるが、一種のおもしろみはあり、わたしがわたしであるために必要なプロセスであるような気もする。