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1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

距離感の話

振り返り

人間関係というのはじつに面倒である。
仲良くなる、というプロセスにおいていくつかの段階がある。まずは挨拶と当たり障りのないことを話す仲。それから定期的に雑談をする仲。それからはメールや電話で連絡をとったり、そのうちどこかに遊びに行くことだってありうる。
しかしこの仲良くなるペースというのは人それぞれであり、ケースバイケースなのだ。最初から最後まで一定量で仲良し度が増加していくことなどほぼ無いと言っていい。

たとえば最初のうちは仲良くなりたいから、少々意識的に会話をしたり、なにかと空気を読んで気を使ったり、メールならば失礼にならない程度の速度で返信をする。

しかしわたしは大抵の場合、仲良くなればなるほど疎かになることが時折ある。決して相手のことがどうでもいいのではなく、気楽に付き合っているのである。だれかと仲良くなるために、あるいはすでにそれなりに仲良い人に対して無理をするなどじつに意味のないことだ。自分が返せるペースで連絡を返し、まったりとゆるやかに仲良くなっていく。

わたしは知り合いに少々構いすぎてしまった。期待値コントロールに失敗をしたのかもしれない。相手が重度の寂しがりやなのに気付かずに律儀に応えていたのがいけなかったのか。しかし途中で、わたしがどういうことを考えていて、どういう人の付き合い方をするのか伝えたはずだ。知り合いはわたしにさらなる要求をし、わたしはそれに対して疑問を感じ、少々距離を置こうとした。距離感を誤るとろくなことが起きない。残念だ。適度に仲良くなれるのかと思ったのだが、無理だということに気付いた。さようなら知り合いよ。

 

わたしはスポーツが趣味で、よく週末は運動をしに出かける。そこで知り合った人がいる。その人は口数が少なく、おとなしそうな人間で、時折上達するためのアドバイスをお互いにしていた。その施設ではレッスンもやっているので、たまに参加するとその人も入っている、なんてことも何度かあった。そのうち、次のレッスン日の調整のために連絡先を交換した。メールでは非常に饒舌だった。長すぎてわたしのほうが辟易してしまって、返信の速度が落ちてしまった。少々私生活が忙しくなってきたのもあって、返信を忘れてしまうこともあった。それが辛いので、もう連絡を取るのはやめたいと言われた。
いったいどういうことなのだ。日常的に連絡を取らなければいけないのか?メールというものは、用があるときにするものではないのか?連絡を取るのをやめる、という発言は理解に苦しむ。結局は求めていたものに相違があったということなのか。
連絡を取るのをやめたい、続けられないのならちゃんと言ってくれ。そのメールを読み、あとで返すか、そういえば返さなきゃ、あっ明日返そう、と忘れては思い出す日々。さすがにわたしが悪いな、と思うも、どうも返す必要性を見出せずにいる。さようなら知り合いよ。

 

わたしはコミュニケーション能力が欠如しているのか、あるいは自己中心的すぎるのか。どちらも当てはまる気がする。わたしは昔から人との距離感において失敗を重ねているが、どうも一向に上手にならない。