1グラムの思考

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『城の崎にて』志賀直哉

『城の崎にて』志賀直哉

" ある朝の事、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触覚はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。"

志賀直哉の短編集『小僧の神様』は前職の人に薦められて手に入れた本だった。わたしはサリンジャーの『バナナフィッシュにうってつけの日』が大好きなのだが、そういうことなら、とおすすめされた。
淡々とした表現法はどことなく似ているところがあった。

蜂は、死んだら無になった。そこにもう存在はしない。この話には様々な死が出てくるのだが、この蜂の死がいちばん丁寧だと感じた。死とはなんなのだろうか。生が終わることが死なのか。はたまたべつの意味をもつのか。

わたしが死ぬときは、蠑螈のように死にたい。間違っても、鼠のようには死にたくない。
だれかに虐げられ、見世物にされ、まるでわたしの人生や死に際がひとつの軽演劇のようにに仕立てあげられるようなことは、あまりにも苦痛で耐えられない。
あの蠑螈は不意に死んだ。なにもわからぬまま、死んでしまった。しかし殺した本人はたしかに淋しさを感じたのだ。たとえその淋しさがほんの一瞬の出来事だったとしても、感情を伴って、思考の種を植え付けて、蠑螈は死んだのだ。