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1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

挨拶の話

わたしは挨拶というものが、この上なく好きだ。

「おはよう」「おやすみ」
「いってきます」「いってらっしゃい」
「ただいま」「おかえり」

響きが、繋がりが、愛おしい。

わたしにとって挨拶とは、ただの常套句以上の意味をもつ。
意外と言われたことがあったが、わたしはコミュニケーションを大切にしている。
それは言葉を交わすことのコミュニケーションのみならず、しぐさ、息遣い、行動、すべてをコミュニケーションとして受け止めている。
挨拶というものはわたしにとって精神的な支えになりうるほどの効力をもつのだ。

まず、対象の相手に挨拶をするほどの仲であること。社交辞令ではなく、本当にその人に挨拶がしたいか?と自身に問いかける。答えが否でも、わたしは心をこめて挨拶をするが、答えが是の場合、それ以上に強い象徴性をもたせて挨拶をする。

疲れていないかい?よい夢を見れるといいね。きみはどんな1日を過ごしたんだい?

相手のことが大切だから、相手のことを知りたいから、わたしは挨拶を慎重に紡ぐ。
そして、それと同じく、いやそれ以上に、わたしは挨拶を返されると嬉しくなるのだ。

挨拶とは、双方が投げかけないと成立しない。

わたしはかけられた挨拶に返答をする、もしくはかけた挨拶に返答があることに喜びをかんじる。
この人と繋がっていると思える。わたしはこの人と意思の伝達を図っているのだと実感する。

それは非常に独りよがりで、少々依存のしすぎかとも自負している。

わたしは、本質的には、人に頼られ、また頼りたいのだ。人に精神的な繋がりを求めては安堵しているのだ。一方的な関係というものを何よりも恐れている。偏ったコミュニケーションは、偏った好意は、偏った期待は、虚無感しか生み出さない。
そのわりに、わたしのこの挨拶へのこだわりは、ひどく一方的なものなのだ。
いかがなものか。これはあまりにも虚しい矛盾ではないのか。だがしかしやめられないものなのだ。
深い意味をこめられた挨拶を一度成立させてしまうと、どうしてももう一度、それを望んでしまうのだ。自分の身を滅ぼすことはわかっていても、わたしは期待をもって挨拶をかけるのだ。

非常に単純に思える挨拶のやりとりというものは、簡素な分だけ負担が最小限に抑えられると思っている。失敗しても、相手にはあまり影響を与えない。

挨拶をしたい相手、挨拶をされたい相手がいるというものは、満たされることなのだ。