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1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

困るということの話

困ったなぁ。その呟きはわたしにとって、ずいぶんと重大なことを意味する。
それは果たして、良い意味での「困った」なのか、悪い意味での「困った」なのか。
口癖のように「困った」と使う人は多いと思うが、よくよく考えてみたら「困った」というのはそれなりに深刻な状況なのだ。


悪い意味での「困った」とは何を意味するのだろう。
困るということは、どうにもできない、どうしていいかわからない、ベストな選択肢がベストではない、と思える。

「何かをやらねばならないけど、どうもうまくいかない。困ったなぁ。」
やらなければいけないことがうまくいかないのは、それは大小関係なく大変なことなのだ。
たとえば取引先との商談がうまくいかない。だいぶ困る。
たとえば掃除をしたいけど換気扇に手が届かない。これもこれで、困るのだ。

悪い意味の「困った」は、心配に値する。
困ると悩む、そして悩むと精神に悪影響を与える。
この人は大丈夫なのか。自身を健やかに保てるのか。
意外にも、少なくともわたしにとっては、大事なのである。


では逆に、良い意味での「困った」とは何を意味するのだろう。
それは一種の贅沢であると思っている。
困るということは、どれもよくてどれを選べばいいのかわからない、何をとっても良い方向に転がるのでどの道を辿ればいいかわからない、と思える。

「何かをやらねばならないけど、どれもいいなぁ。困ったなぁ。」
優先順位をつけるのさえも滑稽なほど、きっとどれも良い選択肢なのだ。
たとえば志望校がいくつかあったが、すべて受かってしまった。どこに進学するか困る。
たとえばおいしそうな菓子が目の前にいくつかあって、どれから手をつければいいのかわからない。それなりに困る。

良い意味の「困った」は、祝福に値する。
良い展開が複数あるというのは、非常に喜ばしいことなのだ。
この人は大丈夫だ。きっと今が楽しいはずだ。
相手が嬉しいと、楽しそうだと、わたしもまた同じ感情を抱かずにはいられないのである。