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1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

『異邦人』アルベール・カミュ

引用句

『異邦人』アルベール・カミュ

“Since we're all going to die, it's obvious that when and how don't matter.”

異邦人をはじめて読んだとき、衝撃を受けた。
実在主義(訂正:実存主義)に触れたのも、この作品がはじめてだった。
わたしはムルソーに感情移入をしてしまった。読めば読むほどムルソーの人格に沈み込んでいった。
この人はなぜ、わたしの頭の中をそのまま生きているのだろうと思った。
それほどまでに、ムルソーとわたしは似たもの同士だったのだ。暗く淀んだ、しかしたしかに心地よいムルソーの思考にとらわれ、わたしはこの作品に何度も何度も読み耽った。

人はどうせいつか死ぬのだ。それが遅いか早いかの違いなだけで、死ぬ原因も、どうせ結果は一緒なのだから関係ない。だれかに殺されようが、自ら命を絶とうが、不慮の事故に逢おうが、結局は死ただひとつしか残らないのだ。
ムルソーの母が死んだ。ムルソーは人を殺してしまった。ムルソーもいずれ、人に殺される。
この作品に出てくる死が、わたしはたまらなく好きだ。

結局のところ、死んでしまえばなにも残らないのだ。思い出は風化するものであり、過去はいずれ色褪せてゆく。ムルソーのように、今を、そして今だけを、見据えることにもきっと意味はある。

人はいつか死ぬ。未来に目を向けたら、その終着点は死しかない。この世に生まれたところで、どのような境遇にいたって、皆同じゴールに向かって走っているだけなのだ。その競争の中でなにをするかは個人の自由であり、その中で種としての義務を果たすこともあろう。死が早く訪れようが後に訪れようが一緒であり、またいつ訪れるかもわからないので、むやみに未来を見据えてもそれはまるで意味のないものになってしまうことだってある。意味がなくなってしまうのなら、未来に何の意味がある?未来に期待を抱くことに何の意味がある?
その反面、今こそがすべてなのだ。今は絶対に、裏切らない。

さて、今から書くことは、決して死や自殺を助長するものではないと先に言っておこう。あくまでも表現のひとつであり、わたしの頭の中の話だ。
わたしは高校に上がりたての頃、命を絶とうとしたことがある。それは主に母の影響なのだが、死に対する抵抗はとくになかった。首に痕を作った母を見て、きっと今がつらいから死を早めようとしたのだと思った。わたしも今の状態のまま、消えてなくなっても良いと思った。生きる理由がない、そして死なない理由もない。このふたつが合わさったら答えは明確だった。死ぬのが正解なのだと思った。
余談だが、今のわたしは今を手放したくないので、健やかに過ごしている。今はとてもすばらしい瞬間が多いのだ。それだけで生きて進もう、死を先延ばしにしても結局は変わらない、そう思っている。
ムルソーも理由に関しては同じだった。たとえば、「結婚しない理由がない」。とくに否定する理由がないのならば、それに流されるのも決して間違いではないのだ。

実在主義(訂正:実存主義)のところも触れたいところだが、上記の引用句とは脱線して延々と書いてしまいそうなので、一度ここで区切ろうと思う。
最後は明るい話で締め括ろう。今というものは、すてきなものだ。
今しか味わえないこと、今しか感じれないもので、今はあまりにも儚い。
儚いからこそ、うつくしく尊いものだと思う。