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1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

アドバイスの話

人のアドバイスというものは、ひどく曖昧な気がする。
「自分ならこうする」という主観的な信念からうまれるものもあれば、相談人の立場になってしっかり考えた上でうまれるものもある。
意見を求める、と一言にいっても、それは果たしてどれほど信憑性があって、どれほど助けになるだろうか?
そもそもアドバイスを求める人にとって、そのアドバイスはどれほど意味を成すのか。

ただ単に話を聞いてほしいのか?明確な答えが欲しいのか?

使い分けは時と場合によるが、基本的には相談人は何かの後押しが欲しいと思う。それが同意であれ、反対であれ。

アドバイスをあげる側として考えると、意見を求められると少々困る。上に記した通り、相談人の真の目的をまずは探らなければならない。この人はどういう意図をもってわたしに助言を求めているのか。そもそも意図などあるのか。

仮に、相手が何かしらの意見を欲している場合、わたしはひどく慎重に言葉をつむぐ。
アドバイスというものは、あまりにも無責任だからだ。
あくまでも助言。あくまでも第三者の考え。アドバイスをどう捉えるかは、受取人の勝手。
いくらでも言い逃れができるのだ。責任なんて何一つないのだ。

しかし、そのわりにはアドバイスというものは、人の判断基準においてそれなりに大きな割合を占めている気がする。

この人の後押しがあったから。この人ならこうするって言ったから。言われたらそんな気がしてきたから。

そうやって人は、他人の意見に大きく影響されているのだと思う。たとえそれが、信憑性のない意見だとしても。


わたし自身は面倒を避けたくて周りに流されがちな性格なので、様々なことを「アドバイス」という名目のもと相手に決めてもらおうとする。相手が良しとすれば、わたしもいいのだ。本当に欲しいものなんてないのだから。相手がなにを選んでも、わたしは楽しめるという自信はある。


だからこそ、アドバイスをあげる側になると少々考え込む。
この人にとって何がベストか?もしくは、この人が聞きたいことは何なのか?

この判断プロセスを良く言えば、空気が読める、だ。自分が口を開く前に、まずは相手の意思を汲み取る。相手の状況、表情、話し方、すべてを情報として取り入れて、何かしらの仮定を立てて、適切な対応をする。これはアドバイスのみならず、対人コミュニケーションにおいて日々行われるプロセスではある。


自分の一言で他人の決断が左右されるかもしれない。わたしの言葉にそこまでの効力はなくとも、少なからず他人の思考に影響は与える。


アドバイスは慎重に。
これは常日頃から思っている。

でもそのアドバイザーという立場をうまく利用して自分の思うままの流れに持っていくこともできる。さりげなく誘導することができる。わたしだって、自分のほしいものを手にいれるために「わたしなら」という前置きで、相手の行動を制限したことがある。

アドバイスというものは、いや、言葉というものはこわいものだ。
自分の発言、自分の決断。すべてに責任をもつべきだと思う。