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1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

結婚観の話

価値観

結婚をテーマにした文を書こうと漠然と思うことは多々あれど、思考が抽象的なそれに留まったまま、なかなか文字におこすことができずにいた。 
しかしここ半年で結婚まわりの決断を迫られるようになり、ようやく筆を取ってみる気が起きた。
他人の気持ちなど考えずに完全に自分個人の話をつらつらと書き連ねているだけなので、ご容赦願いたい。


そもそもわたしは結婚というものに興味がなかった。正確には、今もない。
何十年という年月を特定の人物と共に過ごすというのはひどく窮屈で、まるで籠に閉じ込められた気分になる。
輪廻転生が存在すると仮定しても、記憶は引き継がれないので実質一度きりの人生である。結婚、またそれに紐付く様々な事柄が枷となり、できることもできなくなってしまうのだ。 これはあくまでもわたし自身の価値観であり、もちろん結婚をしてしあわせになる人も多い。わたしがまだ若いから言えることかもしれない。しかし、今の自分にとっては、いくら熟考したところで、「結婚したい」とは思わないのだ。


よくまわりに言われる「結婚のメリット」と、それがいかにわたしにとっては無意味なものなのかを記してみる。

・結婚することで好きな人と一生をともにすることができる。好きな人と共有できる思い出が増える。
誰かと一生をともにすることを結婚と結びつけるのはひどく安易かつ軽薄に感じる。紙切れに名前を記入することで特定の誰かとの一生が保証されるかと言えばそれは違う。婚姻関係を結ばずとも、特定の誰かと長時間過ごすことは可能だし、場合によっては一緒に住むことだってできる。「まだ若いからそんなこと言えるんだよ、40をすぎてくるとさみしくなるよ」と諭されることもある。しかしわたしはそこまで長生きする気など毛頭ない上に、寂しくなるかも「しれない」などという不確定要素を盲目に信じて結婚という大きなものに踏み切りたくない。

・家族を築くことができる。
結婚をせずとも子どもを授かることはできる、というシナリオはひとまず考慮しないとして、個人的には結婚と子孫はとても密な関係にある。必ずしも「結婚=子孫」とはいえないが、「子孫=結婚」だと思う。どういうことかというと、子孫と結婚は同意義で、子どもが欲しいなら婚姻関係にあれ、ということだ。社会的にも、また純粋に子どものためにも、子をもつなら婚姻関係にあったほうが賢い選択なのだ。
しかし困ったことにわたしは育児にまったく興味がない。パートナーと子どもを授かる気がまるでないのに、結婚をすることに意義を見出せずにいる。育児に興味がない理由はここでは割愛する。

そのほかにも、「共有」についても苦痛をおぼえる。財産の共有、時間の共有。
結婚をするとお互いの財力をスッパリ分けるのはなかなか難しい。ふたりで一緒に使う分があって、もしかしたらお互いが自由に使える分もべつに確保できるかもしれないが、それを取り決めるのもひどく億劫にかんじるのだ。たとえばわたしが自分の趣味のために50万円を使いたいとき、パートナーに一言いうべきなのか?場合によっては許可を得る必要もあるのか?なぜ?独り身だと自分で稼いだお金は自分の自由に使える。大抵の場合は誰にも口出しなどされない。
時間の共有に関しては、かなり自分勝手だと言われそうだが ー いや、実際そうなんだが ー ひとりの時間がなくなってしまうことに危機感をおぼえるのだ。以前お付き合いしていた人と数日間ひとつ屋根の下でともに過ごしたが、どうもストレスだった。気を使う使わないの問題だけではなく、「自分の時間」というものが自分のコントロール内にないのも不安なのだ。誰かがおなじ空間にいる、と思うと自由を制限されている気がしてならない。それがたまらなく窮屈なのである。

以前、こういう結婚観を同性愛者の知り合いに話したら、その人は「婚姻」という肩書きがいかに人生においてプラスになるか、ということについて小一時間ほど力説した。たしかに現代社会で生きていく上で婚姻というのは数多の恩恵を受けるかと思うが、しかしそれ以上に、自分の労力や時間、または財産を他人に割くということがわたし個人にとっては耐え難いことなのだ。


しかしだ、よく考えたら結婚というものはなんで存在するのだ?
上に書いた点に戻るが、結婚と子孫は密に繋がっていると思う。突き詰めれば、人間、すなわち生物は子をなし子孫を残すことが本能なのだ。子孫繁栄こそが生物の究極の存在意義でありこの世のありとあらゆる生命体の源なのだ。人間には「婚姻」というはっきりとした制度があるが、これは種の繁栄というものを促進する役割も果たしているのだと思う。 そう言うと、わたし含めこの世の独身思考の人たちは生命の反逆者もいいところかもしれないが、種の繁栄よりも自らのエゴで生きていきたい。(もちろん結婚をするしないには様々な理由はあるが、わたし個人の場合は単純にエゴだ)

そして冒頭に書いた結婚まわりの決断なのだが、上記の個人的な価値観と理由により長年のパートナーとは別々の道に進むことになった。わたしの価値観はわかっていたはずなのだが、長く付き合えば付き合うほどパートナーにとっては納得のいかないことだったのかもしれない。
結婚したい、この人と家庭を築きたい、とビビッと思う人があらわれるかもしれない。
たいして興味のなかった「(500)日のサマー」という映画があるのだが、そこの後半でサマーが言うセリフが非常にすばらしいものだった。ネタバレになってしまうので詳しく書くのが躊躇われるが、ようは「ある日突然、『これだ』と気づいてしまった」という旨のことだ。
これだけ言っておいて、もしかしたらある日「この人だ!」と価値観が覆されるかもしれない。