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1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

縄張り意識の話

縄張り意識

縄張り(テリトリー)を意識すること。縄張りに反する他個体を排除する縄張り行動が見られること。

はてなキーワードより

よく考えてみると、わたしはこどもの頃から縄張り意識が強い気がする。どれも自分のエゴ丸出しのわがままな欲望であるのだが、とりあえず3つのカテゴリにわけて考えてみる。

 

1. 行動範囲の域

ストレートにわかりやすく「自分の物理的な縄張り」を持っている。たとえば昔通っていた小学校裏の公園はずっとわたしの遊び場であって、そこを荒らされるのを何よりも嫌がった。あの公園はわたしの所有物ではない。利用者もわたしだけではない。わたし以上にあの公園に足を運んで、あの公園を愛している人なんてたくさんいる。そんなのわかっているさ。でもそこじゃない。「ここはわたしが遊んでいる地だ、大事に使え、いいところだからぞんざいに扱うな」という感情を抱いていた。「おいにわか、そんなところ見るもんないぞ、バラ園を見るならこっちルートのほうが早い」という上から目線の先輩ヅラをしたくなる。攻撃的な感情ではないだけマシか。
他にも物理的なエリアを挙げるならば、自分の地元全体。繁華街だったり、ちょっと危なげな裏通りだったり。上記の公園の例と同じで「知ってるやつはこんなところに来ないぞ、穴場はあっちだ」という地元民ヅラ。攻撃的になるとするならば、「俺詳しいんだぜ」と得意げに有名スポットだけ挙げてる人に対する嫌悪感くらいか。「ちがうそこじゃない、ほんとに詳しいのか?人気スポットのまとめ記事を読んだだけだろ?」と決めつけてしまう節がある。頭の中だけに留めているので口に出すことはないが、まあそれでも心の中ではそんな悪態をついているのでどちらにせよ優しくはないな。


2. 仕事・得意分野の域

わたしが得意なところには踏み込まないでほしい。学生時代、グループワークで仕事を振り分けたのに、わたしが担当しているものをやたら手伝おうとする同級生がいた。べつにわたしの作業が遅れていたわけでもなく、クオリティが低かったわけでもない。何かその同級生の不安を煽る雰囲気を出していたのだろうか?あるいはただのお節介か。とにかくわたしは許せなかった。わたしが得意としているところで、わたしが責任を持ってやるところなのに、なんだおまえは。出ていけ。

仕事でも時折起きるからストレスが溜まる。わたしが担当している業務に別の人間が入ってこようとすると「ふたりもいらん、わけがわからなくなるから分けてくれ」と思う。○○といえばグラムさん、という地位は業務上とても便利だし、自分のモチベーションや自信にも関わってくる。何かに特化して、誰かが頼ってこれるほどの実力を身につけている、ということは非常にやる気が出る。境界線をあやふやにせず担当業務をはっきり分けたいタイプなので、「やりづらくなるからやめろ」という気持ちと「わたしが責任を持っているテリトリーに入ってくるな」という気持ちがある。

 

3.交流関係の域

このカテゴリがもっとも複雑なように思える。上2つ以上に強い不快感を示す。様々なパターンがあるが、大変エゴイスティックかつ排他的なのは承知の上でふたつ挙げる。
a) わたしの仲良しゾーンに入ってくる人
b) 親しい人しか呼ばない呼び名でわたしのことを呼んでくる人

上の例はわりとわかりやすいと思う。わたしはもともと仲良しゾーンが狭い上に人見知りなのもあって、そこに別の人が入ってくると自分の居場所がなくなってゆく気がしてつらくなる。やだ、だれ、あまりしらないひと、でていってほしい、という感情を抱く。もちろん、そうやって紹介されて仲良くなるパターンもきっとあるのだが、それ以上にリスクのほうが多くて嫌になる。時間をかけて実現することができたわたしの仲良しゾーンは安らぎを得られる「家」なので、外部の人間は脅威でしかない。頼むからわたしの交流関係に入ってくるな、と強く願う。

b の例は「なんだおまえ勝手に仲良しゾーンに入ってくるなや」という感情だ。呼び名くらいなんでもいいだろ、と思うかもしれないが、嫌なものは嫌である。難しいのは、その呼び名は必ずしも親しさを醸し出しているわけではない、ということだ。別段親密さを持たないようなふつうの呼び方でも、それが親しい人からの呼び名と被っている場合は完全にわたしの中ではアウトである。無難だと思いきや地雷だった、ということもおおいにありうるので厄介。というわけでわたしの名前に君をつけて呼ぶ人間はたとえ冗談でも許さない。

a の感情があるので、その逆の場合もわたしは少し戸惑ってしまう。だれかの仲良しゾーンにわたしが踏み込んでしまう時は、それがどれほど嫌なものなのか身を以て知っているので、とてつもない不安を抱く。わたしは間違ったことをしている、という錯覚に陥る。わかりやすい例を挙げるなら、パートナーの友人の集まりに初めて顔を出した時は緊張しすぎて吐きそうになっていた。嫌がられないかな、だれかの居場所を脅かす存在にはなりたくない、と(自意識過剰?知ってる知ってる)。もし本当に嫌がる人がいるのなら、入れない。恐怖と罪悪感で何もできなくなる。ここでよく勘違いされるのだが、わたしは「入りたくなくない」わけではない。入れてくれるなら入りたい(でも a で書いた通り自分からはあまり入れたくないタイプなのでただのわがままなクソ野郎である)。しかし拒絶された時のショックが本当に大きいので、もしそうなったらどうしよう… とやってみる前から不安でいっぱいになるのだ。ありがたいことにこの友人のみなさんには優しく接してもらえた。わたしはそんなに優しく迎え入れることはできない気がするので自分の器の小ささに辟易したが、それはまた別のおはなし。

b の逆パターンもある。親しい人しか呼ばない呼び名で自分の仲良しゾーンの人が外部の人間に呼ばれると死にたくなる。実例ではないが、似たようなシチュエーションとして友人 C という架空の人物を例にしてみよう。友人 C とはお互いに仲良しゾーン入りしていて、わたしは C のことを「C 子ちゃん」と呼んでいるとする。「C 子ちゃん」という呼び名は C に「こう呼んで欲しい」と指定された呼び名ではなく、わたしが仲良くなった頃からずっとそうやって呼んでいるだけだ。 C は嫌がってなく、その呼び名がわたしたちの間ではスタンダードとなっている。しかしある日、わたしの仲良しゾーン以外の人間 X が、C のことを「C 子ちゃん」と呼んでいるのを聞いてしまった。死にたくなった。嫌で嫌で仕方がなかった。X が C の仲良しゾーンにいるかどうかなんて関係ない。関係あることは「わたしの仲良しゾーンにいない」かつ「X よりもわたしのほうが C と仲が良い」ということである。自分よりも C との心理的距離が遠いはずの X が、親密な(少なくともわたしにとって親密な)呼び名を口にしているのが許せなくて許せなくて仕方がなかった。ひどい嫉妬のようだが、実際はわたしの中のだと a に似ていて「安らぎゾーンを脅かされている」という恐怖のほうに近い。わたしのポジションなのに、と居場所を脅かされて、もう安心できる場所ではなくなったような気持ち。X に対する嫌悪感はあまりない(というか X は別に悪くないから当たり前なんだけど)。呼び名が被っている、という事実に対して嫌悪感を抱く。クソ以外のなにものでもない。そしてそんな自分のクソさも嫌になる。これでもう立派な自己嫌悪のスパイラルが出来上がる。


いくつかのパターンを挙げたが、こうして縄張りを脅かされたわたしはとてつもない破壊衝動に襲われる。破壊の対象が縄張りそのものだから面倒である。縄張りを壊す、というよりは、わたしが離れてしまいたくなる。もう完璧なシャットアウト状態。損しかない行為だが、耐えられないのだ。他者に影響が及ぶほどの縄張り破壊は(かろうじて)良心がはたらいて思いとどまるが、自分から離れていって自分自身の縄張りをなかったことにしたくなる。

こうした自分自身の反応についてさらに考えると、ほかにもいくつか当てはまる傾向がある。たとえば「ルーチンに執着して、そこから逸脱するのが嫌」なこと。やり慣れたもの、見慣れた日常に変化が訪れると死にたくなる。2 の得意分野の例や、3 の呼び名の例なんかがこれに当てはまる気がする。もうひとつは「嫌なことが起きたり、誰かとの距離を感じたら、自分から離れていってさらに距離が広がる」ことだったり。なんとなく誰かと噛み合わなかったりすると、悩むのも不安になるのも嫌になってガラガラと心のドアを閉めてしまう。距離を置いてしまいたくなる。シャットアウトしがちな自分の性格が縄張り意識にも濃く現れている。

しかしまあ、ここまで書ききってなんだけど、わたしは扱いづらいを通り越してただの害悪なのではないか…?

Q1 のまとめ

過去のまとめ:Q1 | Q2 | Q3 | Q4


2017 年の第一四半期があっという間に過ぎていった。本当に… あっという間だった。


1月。年始は東京を離れてひっそりと過ごした。体調を崩したのが咳喘息に悪化し、夜通し咳が止まらず眠れぬ日が続いてずいぶんとつらかったのだが、それでも精神的に落ち着くような休みであった。仕事はきっちりこなしているのだが、どうもやる気が出ない。

2月。よく知っているひとが知らない人にみえた。いつもと違う喋り方、いつもと違う環境、いつもと違う対応。想像以上にストレスで、死んでしまいたくなった。自分でもうまく言葉にすることができず、一番の親友とも呼べるそのひとを拒絶したくなった。正確には、どうすればいいのかよくわからなくなって、シャットダウンをしてしまった感じに近いのかもしれない。あれは一体なんだったのか、今でもよくわからない。そんな数日を過ごし、再度東京を離れる頃にはいつものわたし、いつもの環境に戻っていた。後半はずいぶんと楽しかった記憶がある。

3月。アメリカにて一週間を過ごした。仕事から帰ってきてひたすらゲームを遊ぶ毎日で、特別なことなど何もしていないのだが、とてもしあわせであった。穏やかな日常というものはわたしの精神を落ち着かせてくれる。帰国後は自身の仕事や今後のキャリアパスについて悩んだ。わたしはもうこのチームには長く居られないだろう。

Q1 の 1/3 ほどは東京以外の地で過ごしたようだ。よいことである。
仕事のことで悩むことが増えた。もう、わたしにできることはあまりないのかもしれない。やりたいと思っていたことはだいたいやってしまった。チームの方向性も少しずつ変わっていき、出来ることややりたいことがなくなっていった。

異動のチャンスは常にうかがっているのだが、タイミングがなかなか合わない。

2016 年中にやりたいと思っていたことが「異動」以外にもいくつかあったのだが… あまりできていない。わたしがすべてコントロールできるようなことではないので、ある程度は仕方のないことだとわかっている。わかってはいるのだが、とても気にかかってしまう。嗚呼、もう Q1 が終わってしまったのか。わたしはいつになれば…。なんてことを考えることが増えて、落ち込む回数もぐっと増えた。仕事を変えなければ。暮らしている環境を変えなければ。わたしはただ健やかに過ごしていきたいだけなのに、どうしてこうも難しいのだろうか。 

早起きがだんだん苦痛になってきた。早起きという行為自体は問題ないのだが、1日が長すぎるのだ。毎朝起きて、今日はどんなことで落ち込むだろうか、今日もまた悩むのだろうか、とこれから始まる長い長い1日に絶望感を抱くことが多い。気力がなくて、布団から出れない。

今日はとくにひどくて、早朝に目が覚めたものの夕方になるまで布団から出ることができなかった。大好きなゲームをやる気にもなれず、携帯でネットサーフィンをしているわけでもなく、ただぼうっと天井や壁を眺めて過ごした。死んだり生き返ったりを何度も繰り返すうちに珍しく昼寝をしてしまい、起きた時は低血圧なのも相まって冷たい哀しみに浸かっていた。1日の終わりに親友とすこし話す機会があって、この得体のしれぬ悩みや仕事に対する不安をぽつぽつと話した。会話を交わし、やさしさに触れるうちに心がなんだか軽くなり、夜になってようやく布団から脱出してゲームを遊んでみた。おもしろかった。

しかしまあ、Q2 が毎日こんな感じだったらわたしは頭がおかしくなってしまうかもしれない。最近は職場に行ってもやる気がなく、あまりの居心地の悪さに夕方には退社をしてしまう。どうか Q1 よりも悪化せぬよう祈るばかりだ。

哀しみの話

もともと感情移入がしやすい性格なので他者の悲しみに、他者のために、涙を流すことはあれど、今日はひさしぶりに自分のために泣いた。自分だけのために。想像以上の痛みであった。自身を憐れむわけではなく、それを「哀しい」と認識するのが非常に苦しかった。


人はどのようにして哀しみを克服すればよいのだろうか。自己開示を経て、他者に救いを求めればよいのだろうか。あるいはひとりで向き合って、昇華させればよいのだろうか。わたしにはわからない。


わたしは自分に失望をしたのだ。他者に失望した自分にひどく失望をした、ただそれだけのことなのかもしれない。


わたしは自分の立ち位置を見失ってしまったのだ。見慣れたひとはもうそこにはおらず、わたしは、どんな顔で、どのように、人間らしく振る舞えばよいのだろうか。わたしは「わたし」を放棄するのがいちばん怖いのに、なるほど、わたしは放棄を繰り返しているのだ。そう気づいて、深い哀しみに包まれた。わたしを取り戻す手立ては、今のところ残念ながらない。耐え忍ぶのみだ。自身を否定し続けることはこんなにも心が抉れるようなことだったのか。自己肯定がまるでできなかった何年も前のあの頃、生きる楽しさを見出せなかったことに、納得。

余命宣告されたらの話

友達と1週間ぶりに会った。たったの1週間ではあるのだが、以前は同じビル、わたしの数メートル先のデスクに座っていて毎日お話をしていたので、なんだか少し変な気分だった。

とても楽しく、ひさしぶりに涙が出るほど笑ったのだが、ふとしたきっかけで「いつ死ぬかわからないもんね」という話をした。
ある日突然死神が来て「明日死にます」と言われたらどうする?ある日突然医者に「余命3ヶ月です」と言われたらどうする?そんな問い。


明日死ぬ、あるいは余命3ヶ月、と言われたらどうするだろう。


現実的な話をするなら、まず今ある貯金、私物、
諸々の遺品となるものの受け取り手を決めるだろう。今住んでいる賃貸マンションの連帯保証人に連絡を入れたり、大事なものを処分するなり譲るなりする。遺書は絶対に残す。筆を取り、思いのままに書く。


イムリミットが明日の場合は、少し時間が足りない。
きっと1日のうちに好きなものをできるだけ詰め込むだろう。主に食に関することだと思われる。

イムリミットが3ヶ月の場合は、人生のうちにやりたかったことをやる。
休職をし、
その日のうちにヘブリディーズへの航空券を購入する。
城の崎で小説を執筆する。
着物を身に纏ってお気に入りの噺『明烏
』を聴く。
卒業校を訪れてキャンパス内の大木にくくられたブランコに座って読書をする。
遠方の知り合いに会いに行く。


それらを叶えていくとき、
あいするひとが側にいればしあわせよね、と大真面目に言ったら、友達は「やだ、あなたからそんなロマンチックな話を聞くなんて」と笑った。

じゃあきみは?今付き合ってるひとのこと、愛してないの?そばにいたくないの?」と聞いたら、友達はすこしだけ表情を引き締めて、「愛とかわからないけど、まあ一緒に過ごしたいよね」と答えた。


わたしが最後の時間を過ごすとき、だれが隣にいるのだろうか。そんなことを考えながら、帰路についた。

きらきらした部活ライフを過ごせなかったことの話

わたしは中学の頃バスケットボール部に所属していた。せっかく中学生になったのだから何か運動部に所属しなければ、と思った。部活に所属して、きらきらと輝く青春を送ってみたかった。わたしは日々をだれかと共有がしたかった。一緒に悔しくなって、一生懸命練習して、時には衝突をしながら、全力投球の学生生活を過ごしたかった。

中学1年になり、バレーボール部に入部した。すこし憧れていた。現在は JT サンダースのウィングスパイカーとして活躍中の男子バレー選手 越川優に当時惚れ込んでいた。長身から力強く放たれるプレーがとにかくかっこよかった。身長は130cmもなく、ひょろひょろで、かつバレーボール経験なんて体育の授業くらいしかなかった12歳のわたしには到底叶わないような人だったが、それでも勢いで入部した。部では当たり前のようにベンチプレイヤーではあったが、練習に励み、スパイクができないのならせめてレシーブを、と積極的に先輩のサーブやスパイクの受け手にまわった。しかし残念ながら想像していたほどのきらきらはわたしみたいなベンチ選手とは無縁のもので、バレーボール自体は面白かったものの、苦しくも楽しくもない部活生活を送った。

中学2年になり、バレーボール部からバスケットボール部にうつった。スラムダンクを読んだこともなければ、NBA の試合を観たこともなかった。かろうじてマイケルジョーダンの名前を知っていたくらいだった。なぜ自分がバスケットボール部を選んだのかは今となってはまったく覚えていないし、理解もできない。それでもわたしは途中から入部し、効き手ではない左手で上手にドリブルする練習を続けた。
どういうわけか、試合には出してもらえた。
まだまだ身長はなく、背の高い選手たちにもみくちゃにされていたので、ポイントガードに任命された。わたしはポイントガードを務めることが誇りだった。ポイントガードはチームのブレインで、司令塔で、的確な判断を下すことができるとコーチに評価されたと感じた。

そのうちスタメンにも選ばれた。小さかった分、よく相手選手になめられていたのだが、それを利用してわたしは相手のファールを誘うのが非常にうまかった。嫌な選手が相手にいたら積極的にファールをもらいにいって、選手をベンチに追いやった。バスケットボールでは1試合での個人ファールが増えると強制的にベンチ戻されるので、危なくなってくると大抵のコーチはその選手を引っ込めた。

それは快感だった。あんなに大きくて強気な子を無力化できるのはわたしにしかできないことだと自信をつけた。さらに、相手チームに一定数以上のファールがあると、次からはファールが出る度にこちらがフリースローチャンスをもらえる。わたしがファールをとってくればとってくるほど、得点のチャンスがついてくるのだ。それもフリースロー。だれにも邪魔されることのないフリースローは楽な点数稼ぎの方法だった。

コーチに「フリースローの腕を磨け」と言われた。あくまでもわたしは指示を出してパスを回す役なので、派手に切り込んで点数を入れる機会はそれほど多くはなかった。コーチはわたしのことを「影の人」と形容した。いくらわたしが上手なアシストをしてもスコアブックには載らない、影の人。しかしファールを誘うことによってわたしにはフリースローをする権利が与えられるのだ。それらをすべて決めることによってわたしの狡くてすばしっこいプレーが完成されると思った。ひたすらフリースローの練習を重ねた。何かに打ち込む姿は、わたしにとってはきらきらとした経験だった。しかし、わたしはひとりだった。みんなはドリブルやレイアップや3ポイントシュートの練習ばかりしていた。地味な練習を続けるわたしにはだれも声をかけてくれなかった。ただ、試合でフリースローを決めて加点をすれば、みんなが背中を叩き、肩に手をまわしてわたしを目一杯褒めてくれた。それだけでわたしは十分うれしかった。フリースローの瞬間はだれもがわたしに注目している。固唾を飲んで、物音ひとつ立てずにわたしのいつものフリースロー前のルーチン(2度バウンドさせてからボールを1回転させる、わたしなりのおまじない)を見つめ、全員の視線を浴びながらすっと構える瞬間がとても好きだった。外したらすぐにリバウンドをとってやろう、という強い意思が敵味方構わず、自分の両側に待機した人たちから感じられた。わたしが見事に決めると、飛びつこうと前かがみになっていた人たちが一斉に脱力した。それがすごく、すごくたのしかった。


中学2年が終わる頃、わたしのフリースローの成功率は7割強だった。決して悪くない数字だった。3年生に上がり、わたしは部長になった。わたしの学校の部活はコーチがすべてを決めていた。コーチは、1年の頃からずっとスタメンだった子ではなく、ぽっと出のわたしに、部長のエンブレムが入ったユニフォームを渡した。本来ならば早い者勝ちであるユニフォームの番号も、部長権限ということで一番はじめに選ばせてくれた。2年生に入部した時、残っていたものから適当に選んだ背番号22番。去年もお世話になったユニフォームを手に、わたしはさらにフリースローを磨き、ドリブルの腕も上げた。

試合が楽しくて仕方がなかった。センターラインで待ち構えている相手選手を華麗なドリブルでかわし、正反対の方向を見ながらパスを送るフェイントも覚え、プライドの高いセンターの子にファウルを背負わせた。おかげでわたしはよく吹っ飛んでいた。文字通り、吹っ飛んでいた。ジャンプ中にすごい勢いで横から突き飛ばされて、わたしは空中で半回転をして大きな音を立てて地面にひれ伏したことがあった。肺から空気が抜け、息ができなかった。空気をいれようとしたら咳が出た。試合を観に来ていた母に「すごい音がして、一気に体育館がしーんとなった。あなたがしばらく動かなくて本当にこわかった」とその晩言われたのをよく覚えている。突き指や捻挫も日常茶飯事だった。いつも通っていた外科医に「また?」という顔をされるようになり、一度だけ、足の靭帯を一度にすべてひねった時は「完治しないかもしれない、無理をするな」と叱られた。サポーターを巻いて試合に出て無理をした結果、その足は今でも雨の日や冬の寒い日、あるいは高いヒールを何日か続けて履くと痛む。


しかしそこまでしても、わたしはきらきらとした部活ライフを送ることはできなかった。コーチにはたいそう可愛がられたが、みんなにとってはわたしはどこまでも「フリースローくらいしかできないくせに部長になったチビ」だった。もっとも、わたしはその1年で30cm伸びたので、「フリースローくらいしかできないくせに部長になったやつ」に昇格したのだが。

なんだか孤独だった。切磋琢磨、という言葉とは程遠い練習だった。陰湿ないじめはなかったものの、いないものとして扱われることはよくあった。


ある日の練習試合のこと。その日はひどい雨に見舞われた。バスで1時間とすこしの他校での練習試合。2試合やるのだが、間にお昼休憩をはさむ。お弁当を持ってくる子は少なく、大抵は学校近くのコンビニで買ってきたり、ファミレスでみんな済ませていた。その日も1試合目が終わり、だれかが「お昼行こう!」と声をかけていた。わたしの隣に座っていた子が誘われた。わたしの後ろに座っていた子も誘われた。わたしは誘われなかった。

かわいそう、と思われるのだけは絶対に避けたかった。声をかけられないのは惨めではない。けれど、他人に心配されたり同情されるのは、すごく嫌だった。とっさに携帯を開いて、だれにもかけていないのに、母と話すふりをした。電話中だったから声をかけることができなかった、という言い訳を作り上げた。みんながお昼に出て行き、更衣室にひとり取り残されたわたしは、どうすればいいのかわからなかった。いつもなら近くのコンビニでお弁当を買って更衣室で急いで食べて残り時間を練習にあてるのだが、いかんせん初めてくる学校、初めてくる町だった。どこに何があるのかわからなかった。外に出ようとしたが、ひどい雨で、折りたたみ傘しか持っていなかったわたしは探し回る気力などなかった。

その日、わたしはバスの中で食べる用に前日買って持って来ていた果汁グミ(ぶどう)で空腹をしのいだ。

 

こういうのばかりだった。わたしにはライバルもいなければ、信頼できるチームメイトもいなかった。わたしが持っていたのは、フリースロー成功率95%という実績と、試合に勝った時だけハイタッチをしてくれるチームメイトだけだった。みんなとは不仲というほどでもなかったので、コーチは何も言わなかった。ただただ、とても真面目に、わたしのプレーを指導してくれた。高校に上がってからもバスケットボール部でスタメンを務めることができたのは、わたしの地味なプレーを肯定してモチベーションを上げてくれたコーチのおかげだと思っている。

 

インターハイ出場という夢に向かって部活に励む知り合いの子の話を聞いて、全力で応援してあげたい気持ちがうまれた。嘘偽りない気持ちだ。それでも、心の片隅で、怪我をして挫折をしたらどうなるのだろう、とよくわからない期待をしている部分もあった。しかしきっとその悔しさも、今まで一緒に頑張ってきたチームメイトたちと共有ができるのだろう、と気づく。彼はきらきらしているのだな、と思った。


わたしはもう社会人だ。某少年漫画で読むような熱い友情も、涙が出るような悔しさも、励み合って取り組める仲間の存在もなかった。もう遅いのだ。それは、すこし、さみしい。

街コンに行ってきた事の話

街コンに行ってきた。
今までずっと気にはなっていた。どんな人間が来るのか?どんな話をするのか?本当に出会いの場として成立するのか?とくに三つ目の疑問は興味深くて、女性は参加費が大変お得となっており、出会いと求めているというよりは「なんとな〜く」の気分で来ているのではないか?という疑問があった。ずっと潜入してみたいとは思っていたものの、ひとりで行く勇気はない。そんな矢先、知り合いに「一緒に街コン行かない?」と声をかけられた。アラサー女子のその知り合いは真面目に出会いを求めているようで、以前もわたしに何回か「いい人いない?」と聞いてきたことがあった。これは願ってもいないチャンスだったが、根がチキンなわたしはおおいに悩んだ。妙にびびってしまったのだ。しかし悩んだ挙句、知り合いも一緒だし、参加費も安いものだったし、参加してみることにした。

先に書いておくが、わたしは100%冷やかしである。高い参加費を払って参加する男性には本当に申し訳ないのだが、わたしには絶対に裏切りたくないパートナーがすでに居て、行きたがっている知り合いのお供をしつつ、自身の知的好奇心を満たしているだけである。今夜わたしに声をかけてくださったみなさま、ありがとうございます、そしてなるべく会話を長引かせないようにはしていたものの、幾分かのお時間を無駄にしてしまってすみませんでした。


さて、以下レポ。特定を避けるためにフェイクあり。

 

わたしが参加したのは東京都内某所で行われた会である。男性の参加費は、女性のそれの二倍をゆうに超える。少々早めに到着してしまい、ドア前の受付デスクで手続きを済ませ、プロフィールシートをもらった。会場(というかスペース)入りし、まずその狭さにびっくりした。ここに25~30人くらい入れるの?本当に?と思うくらい狭い。カウンタースペース、ソファ席、あとはテーブル席が6席分くらい。説明には「立食」と書いてあったので、まあこんなものなのか、と思い、荷物を置けるところを探す…が、ない。まさか今日街コンに来るとは思わなかったので、くすんだ色のリュックにノートパソコンを2台入れてきている。こんな重いリュックを背負いっぱなしはダサいし、何より疲れる。運営側の人間はふたりで、ひとりは表で受付、もうひとりはせっせと食事とお酒を用意していたのだが、この料理人兼バーテンさんに聞いたら、どうやらカウンター下に置いてもらえるとのこと。リュックを預け、コートとマフラーをハンガーにかけ、一息ついたところで先客の女性3人組をちらちらと観察する。友達3人で来ているようで、横一列にソファに並んで座り、何やらクスクス楽しそうに会話をしていた。ファーの付け襟の子、ふわふわの白セーターの子、淡いピンクの膝丈スカートの子。わたしはリュックこそ背負ってきたものの、たまたまワンピースを着ていたのであまり浮かずに済んだ。ちなみに知り合いはスキニーのジーパンに紺色のチュニックを着ていたのだが、このチュニック、胸元の露出がそこそこある。谷間がちらりと見える。先客の女子3人組は明らかに男ウケを狙っている服装だったが、なるほど、知り合いはカジュアルさを全面に出しつつも女性としての魅力をちらりと見せるという高度なテクニックを身につけていた。
「お互いのことは知らないふりしよう」と知り合いから事前に提案されていたので、荷物を置いたあとはちょっと離れて座った。彼女は入り口がすぐ見えるソファポジション。わたしは入り口とソファに背を向けたカウンターポジション。もうこの位置取りの時点でわたしは「負けた!」と思ったのだが、カウンターポジは後々役に立つこととなる…。


カウンターに座ったはいいものの、まだ時間が早かったのでとりあえずプロフィールシートを埋めることにした。高学歴インテリキャラで通そうと思ったので、プロフィールには以下のように書いた。

趣味:読書、ゲーム
周りからよく○○と言われます!:インテリ系?笑
どんな人がタイプ?:博識な人
ストレス解消方法は?:引きこもる、スノボ
デートで行きたい場所は?:野毛 

回答の理由は以下の通り。
趣味:知的さとオタクさを兼ね備えているアピール
周りから〜:自分で「?笑」と疑問系にすることでつっこんでもらえる
タイプ:博識、という字がわからない人が過去に何人かいたので(男女問わず)、インテリ感出すために書く
ストレス解消法:対照的なふたつを書くことで、インドアもアウトドアもいけるアピール
デート:野毛は動物園(女子力◎)と飲み屋街(男子力◎)のダブルアピール

さて、プロフィールを書き終える頃にはぱらぱらと参加者が到着していた。ソロの男性ひとりを除いて、全員が2人組で来ている。全員ソファやテーブル席を陣取る中、ひとりだけカウンターでぼうっと観察。知り合いは隣に座った男性2人組とさっそく話している。全員がプロフィールシートを記入している間はずいぶんと暇だったので、フライイングしてビールを頼む。ドリンクを渡され、「これって乾杯とかあるんですか?もう飲んじゃっていいんですかね?」と聞いたら、バーテンのお兄さんが「まあいいんじゃないですか、俺もこっそり飲んじゃうのでふたりで先に乾杯しちゃいますか」とまさかのバーテンフラグ。えっ、と内心首をかしげつつ、まあやることもないのでとりあえず乾杯してビールを飲み、バーテンさんと雑談。
5分ほどした頃だろうか、20人ほど集まり、受付の男性がようやく室内に戻ってきた。「何名か男性の方が遅れているようですが、まずは乾杯しましょう!」と始まりの合図を出す。どうやら乾杯をしながら、プロフィールシート裏にあるおなまえシートに異性の名前を書いてもらう、というシステムのようだった。ここでわたしのカウンターポジが活きた。ドリンクを注文しに来た男性に声をかけられまくったのだ!
「とりあえず乾杯しますか」とドリンクを受け取った男性に声をかけられ、そのままの流れでプロフィールシートの見せ合いっこ。「読書とゲームってどんなものが好きなんですか?」と聞かれ、「インテリ系ってなんでですか?」と聞かれ、「スノボはどちらのゲレンデですか?」と聞かれ、「野毛のおすすめの店はどこですか?」と聞かれ、思惑通り、興味をもたれて質問攻めにされた。わたしはインテリキャラで通しているので、もちろん返答は「今はロランバルトを読んでますね」「理系出身なんですけど、大学時代は筋ジストロフィーの研究をしていたので…」「スノボはカービング至上主義なのでパウダーの無いガチゲレンデです」「看板も何も出ていない隠れ家的な焼き鳥屋ですね」なんて感じで、相手が「すごいですね…」と言ってそそくさと離れていくまで自分の知りうる「一般的ではない単語」を大量に並べてみた。ただの嫌なヤツである。


このように声をかけられてはドン引きされるということを何度か繰り返し、おなまえシートも埋まってきた頃(ちなみに顔と名前が一切一致しなくて困った)、一息ついてあたりを見回したらもうすっかりグループが出来上がっていた。そして驚異的な女子のニットセーターとスカート率。モテを意識しすぎていてちょっとおもしろい。「わたし全然そういう気ないんです〜友達に誘われてきただけです〜」感をプンプン醸し出している。いやまあリアルに全然そういう気のないわたしが言えたことではないんですけどね…。だれかに声をかけようとしても、女子2人組でがっちり囲んで他を許さない雰囲気。仕方なくカウンターで赤ワインを立ち飲みしながら、なぜか空になる前にどんどん注いでくるバーテンさんとまたお話。バーテンさん、お酒がまわってきたのかずいぶんと饒舌。気づいたら受付・進行役のお兄さんもカウンター内に入ってビールをぐびぐび飲みながら会話に入ってくる。おいおいフリーダムだな!?と思いつつも、3人で互いに「芸能人に例えたら誰に似ているのか」というくだらない話に。わたしは「吉高由里子」「優香」と言われた。10分くらいまた話していたら、見た目イケイケの男性とその友達のくたびれたサラリーマンみたいな人がドリンクのおかわりを取りに来て、「あっちの席空いたから座る?」と立っていたわたしに声をかけてきた。このままではバーテンとフラグが立ってしまうぞ、と危機感をおぼえてきたのでその提案に従い、テーブル席に腰をかけた。座った途端に「とりあえず連絡先交換しない?」と言われ、この手の会には慣れているか、あるいは一生懸命アプローチしているのかのどちらかだったが、「すみません今携帯手元にいないのでわたしのプロフィールシートにおふたりの LINE ID を書いていただけますか?」と聞いたら自身の名前、連絡先、そして自分の特徴までもをきっちり書いてくれた。手際よく「スノボ、ツンツンヘア、スーツ」と特徴を書いている様子を見ながら、これはどちらかと言えば慣れているほうかな、と思った。どうやら公務員らしいのだが、この2人組とはもっとも会話が長続きしたように思う。イケイケの子は実際は口下手であまり喋らず、逆にくたびれたサラリーマンがよく喋った… わりに、会話がつまらないし、ところどころ失礼。「まあまったく興味ないんだけど、週末なにしてるの?」とか、「へえ〜そうなんだ!わりとどうでもよかったね笑」とか、とにかく余計な一言をつけてくる。イケイケの子が控えめに「それは失礼なんじゃ…」と嗜めるが、まったく制止力がない。あまりにもタイプが違いすぎるので「どうやって知り合ったんですか?」と聞くと、「え〜と、飲み会、みたいなのに行ってたらよくばったり会ったので、声をかけたのが始まりです」という返事が。なるほど、つまり街コンで何度も見かけた結果ふたりで参加するようになったんだな。そういえば今思い出したのだが、軽食を大量に紙皿に盛ってテーブルに座っていた女子たちに「いっぱいとってきたから一緒に食べませんか?」と声をかけていた。手際いいな?


しばらく上記の凸凹コンビとお話した後、だんだんくたびれたリーマンの発言にイラッとしてきたので「ドリンク取りに行きますね〜」と抜け、再度カウンターへ。お酒の飲みすぎなのか顔を真っ赤にした女の子がバーテンさんにハイテンションで話しかけていて、バーテンさんもしっかり笑って相槌を打ちつつも一言も喋らないのが印象的だった。さっきまではあんなに饒舌だったのに… と思いながら見ていたら、後ろから声をかけられた。ずいぶんと最初のほうで「俺も読書が趣味なんスよ!NARUTO とか読んでました!」と言い放った人だった。どういうわけか、めげずに読書の話題をまた振ってきて、「星新一って知ってます?」と食い気味に言われたので「星新一訳の短編集ならちょうど今朝読み終わったところです」と答えたら「すごいっすね!?俺全然わからないっす」と言われた。アホの子だ… 博識な人がタイプって書いたのに気にせずにアホ丸出しにしてる子だ…。相手にするのが面倒になってきたので、そそくさと空いているソファ席に移動した。


ソファ席の隣に座っていた男性が声をかけてきたのだが、この人がなかなか面白い人だった。ストライプ入りの紺色のスーツをびしっと決め、きれいなワイン色のネクタイにはタイピンが。ほ〜ハイステータス男子かな?と思ってお話をしてみたら、どうやら役所勤めのちょーっとだけ偉い人らしく、聞いてもないのにいかに自分が出世レールに乗っているのかという話を始めた。「ココだけの話ね」と小声で切り出したその男性の顔はキリッと凛々しかったものの「俺の年収、同期より高くてさ、700万なんだよね」と嬉しそうに言っていたのがちょっとかわいかった。いいネタになると思って、すかさずエリートキャラ発動。「え〜700万すごい!わたしの同期も今それくらい稼いでるみたいで、わたしもあとちょっとなんですよね!」と言ってみた。嫌な顔をされると思いきやすごい勢いで「バリバリのキャリアウーマンですね!素敵です!」と褒めてくれて、逆にわたしのほうがどぎまぎとしてしまった…。

役所勤めマンがドリンクのおかわりに立った隙に、わたしも席を立って知り合いの姿を探す。パーカーのジッパーを首下まで目一杯閉めてた男性と楽しげにお話をしていた。この時点で街コン開始からもうすでに2時間経っていて、そろそろ疲れてきたので先に抜け出すことにした。「早めに退場しても大丈夫ですか?」と進行役の人に確認をしたら、バーテンさんに「えー帰っちゃうの!もう一杯作るから付き合ってくださいよ」と留まらせるための営業トークなのか何なのかわからないことを言われたが、わたしの意志は固かったので丁重にお断りして退室。以前よく行っていたバーが会場近くにあったので、移動してまったりひとりで1杯飲んで帰った。知り合いからは「4人から連絡先ゲット!」というメッセージがきていたので、それなりにうまくいったようだった。

 

以上がわたしの街コン潜入レポートなのだが、まとめると:

  • 女子は冷やかしっぽい子が多い
  • 男女比率は4:6くらい
  • 男性は公務員が本当に多い!出会いがないらしい
  • ハイステータス男子、と言いつつも大半は中の上くらい
  • 思ったよりも男性陣がコミュ障ではなかった
  • わりと早い段階で小グループが出来上がってしまう
  • 街コン後は「もう1杯いく?」と意気投合した人と二次会コースあり(知り合い情報)

わたしが参加した街コンは会場が狭かったり、遅刻者の対応で進行役が不在だったり、席替え・アクティビティの類が一切なくほぼほぼフリータイムだったりして、段取りの悪さが目立った。フリータイムなので積極性がない人はぼっちになってしまうのだが、たまに進行役の人が仲介していた。逆にフリータイムだと「話が弾んでいるのに強制席替え」という状況にはならないので、気になる異性がいるのなら話しやすいメリットはあるように思う。

総合的になかなか興味深い体験であったが、おそらくもう行くことはないだろう。一度で満足である…。

仕事への熱意がないの話

今の職に就いてから1年半以上経つ。仕事の幅はとても広く、色々な分野に手を出すことができて、すぐに飽きてしまうわたしだけれどなんとかバラエティを維持できている。

しかし、もやもやがすごい。数ヶ月前に何かが爆発して仕事の不満をぶちまけたことがあるが、昨日「今まで一番楽しかった仕事は?」という問いを投げかけられたのをきっかけに、すこしもやもやを言語化できそうな気がした。


熱意がない。やる気、とは似ているがすこし違う。
この仕事をやりたいと強く思う気持ち、これを遂行させようという強い意志、そのプロジェクトに対する活力。それらがほとんどないことに気づいた。



試験的に運用していたプロジェクトがある。プランニング、立ち上げ、運営、そのすべてを自分自身でやった初めてのプロジェクトだ。それをやろうと思った時のことをはっきりと覚えている。2015年の終わり頃、上司に「2016年はどんなプロジェクトがやりたい?」と聞かれた。「動画に携わるもの、SNS に携わるもの、ローカライゼーションに携わるもの」と、とてもざっくりなアイデアだけが3つ提案された。SNS 関係の業務にはもうすでに少し手を出していたのだが、がっつりとやる気にはなれなかった(余談だが、今年はその SNS のプロジェクトを任されることになった…)。ローカライゼーションも、わざわざプロジェクトにしなくても関われる方法を知っていた。ならやったことのない動画関係の仕事かな、とそれを選んだ。その程度だ。

いちからプロセスを考えて、部署のディレクターレベルの人たちにゴーサインをもらうためにしっかりと仕組みを作って、プレゼンをした。それが2016年1月だった。その時のプレゼンをたまたま今日開いて、この頃と比べたら今はずいぶんとプレゼン能力が上がったなぁと思いつつ、このプロジェクトについて考えた。ディレクターに気に入られ、無事にローンチし、何やら好評だったので最初は数ヶ月の試用だったはずが半年に伸びた。成功点とともに問題点も見えてきて、じゃあその問題点を克服するにはどうすればいいのか、データと睨み合って原因を探ったり、改善案をいろいろ出したりしてまたプロジェクト案を練り、プレゼンをして、今度はもっともっと大きな規模でもう半年テストすることになった。何度かつまづきそうになって悩みはしたが、あぁよくここまでもってきたなぁ、と妙な気持ちになった。

そして約束の半年が経ち、試験期間が終わった。大きなミスはとくになく、作業を怠ったこともない。しかし試験が終わり、数字などを計算していくと、このプロジェクトの今後の優先度はあまり高くないことに気づいた。このまま本格的に運用するよりも、小規模で継続させていくことのほうが効果的のように思えた。それを上司に伝えたら、「きみのプロジェクトがそろそろ終わるのか。どうだった?今はどう思う?」と聞かれた。


どうも思わない、と上司に正直に言えなかった。
たのしかったです、とにこやかに答えた。嘘ではない。楽しい瞬間は何度かあった

しかしこのプロジェクトが終わることを無感情で受け入れていることに気づいた。心残りも、悔しさも、あるいは達成感も、なにもない。すごいね、と言われても、ウン、アリガトウ、としか言えない。

 

冒頭でもすこし触れたが、昨日べつのチームの人に仕事を褒められ、「今までやった中で一番好きだった仕事は?」と聞かれた。何も思いつかず、一瞬言葉に詰まったが、頭にぱっと浮かんだ適当なプロジェクトについて語ってしまった。空っぽだなぁ、と自覚しつつも、「楽しいものはなかったです」と初対面の人に言えるわけがなかった。今まで携わってきたプロジェクトは大小あわせて十を超えるが、熱意、というキーワードはどこにも見当たらない。

それでもまわりは評価してくれて、がんばってるねと声をかけてもらった。しばらくモチベーションにはなるが、それは飽きずに続けるという意味でのモチベーションであって、やる気ブーストになったり、あるいはプロジェクトに感情移入するほどの効果はなかった。むしろ、熱意をもって仕事に取り組まなくてもなんとかなるのか、テンション低めに淡々とこなしてもなんとかなるのか、とちょっとだけがっかりもした。手を抜くなんてことは絶対にしないし、どれも真面目に取り組んでいるけれど、いわゆるパッションがない。本当はもっと楽しみたいし、これはわたしがやる!と熱意を持ちたい。アツくなってみたい。しかし、そんな心はどこかに置いてきてしまったようだ。

 

職場の環境はいい。わたしが所属しているチームは小さく、仲も良い。変ないざこやや面倒な派閥もない。上司はマイクロマネジメントしないし、「飽きてない?」と気にかけてくれる。上司のことは好きだし、尊敬もしている。在宅にも寛容で、定期的にわたしは家からテレビ会議に参加し、出社時間・退社時間も自由にしている。おまけに、デスクに縛られない。おそらく1日のうち半分近くは自席以外の場所にいる。

不満を言うならば、職場が東京のど真ん中にあることだ。不快でならない。もうひとつの不満は、完全リモートで働けないことだ。どういうわけか、わたしは在宅で働いている時のほうが生き生きとしていて、仕事も進む。リモートだと誘惑が多すぎて、という言い分も理解できるが、好きな格好で、そして好きなペースで働けることは本当にストレスフリーなのである。さらに言ってしまえば、わたしはべつにオフィスの人たちと会議をたくさんするわけでもないので、常に居る必要性がまるでない。しかしいくら自由な社風と言えどルールは存在するわけで、わたしはそのルールに縛られてオフィスに足を運んでいる。

オフィスで働くことが嫌なのではない。あくまでも「リモートで働けない」のが嫌なのだ。移動時間は面倒だが、ほとんど混まない線に乗っているので基本的には座って読書をしたりスマホでニュースを読んだりしている。多くの会社員が思う「満員電車がしんどい」なんてことはまったくない。オフィスには友達もいるし、知り合いも本当に多い。仕事の合間、暇だったりちょっと寂しかったりする時は、知り合いと一緒にお茶をしたり甘いものを食べに行ったりボドゲをやったりしている。おしゃべりもいっぱいできて基本的には楽しいことばかりなのだが、やはりわたしにとっては「リモートで働ける自由」というのは大事だ。とんでもないわがままなのは承知の上だが、好きなところで働けることに喜びを感じてしまうのだから仕方がない。

 


さて、仕事に熱意を持つことができない話だった。熱意がないことと合わさって、リモートで働けない不満。割合にすれば7:3くらいなのでまずは前者をなんとかしたいのだが、残念ながら良い案が思い浮かばない。
興味のある仕事は?と聞かれればいくつか挙げられるが、それらは「それなりに楽しめる」という意味なので、必死になれる、ということではない。あぁ楽しい、もっとやりたい、と思えるような仕事はいったい何なのだろう?時間を忘れるほど一生懸命になれる仕事はいったい何なのだろう?


嗚呼。散歩家になって、気の向くままに歩き倒して、おいしいものをお腹いっぱい食べられたら。