1グラムの思考

思ったことを文字におこしているだけのブログ

死ぬ妄想の話

徒歩45分ほどの距離を歩いて帰ってきた。本当は10分の距離の駅まで行き、そこから最寄りまで電車に乗って来ようと思ったのだが、ふと歩きたくなってそのまま歩いてきた。今日は重いリュックサックを背負い、靴も歩きやすいものではあったが特別適しているわけでもなかった。しかし今日はいろいろあった。考える時間が必要だった。

歩きながらひさしぶりに死ぬ妄想をした。死にたい気持ちがあって考えたわけではなく、ふわふわと思考を野放しにした結果、舞い降りた先が「自殺」と書かれた引き出しだった。あらひさしぶりね、くらいの気持ちでその引き出しを開ける。わたしはずっとずっと前から「自殺をするなら首吊り」と決めている。苦痛を味わうのは嫌だったし、自分の姿形があまりにも変形してしまう方法も嫌だった。肺に水が溜まり、身体がぶくぶくに膨れ上がるような水死は嫌だったし、焼け爛れてゆく焼死も嫌だった。一瞬で済むという点では飛び降りなどはとても魅力的な方法だったが、他者に迷惑がかかる死に方も嫌だった。ひっそりと、ひとりで、首を吊りたい。自室で吊ってしまうと大家や周囲の住人に迷惑がかかってしまうのはわかるが、しかし自室が一番適しているように思える。わたしは定期的に縄をかけられそうな場所を探しているし、死にたいという気持ちがまったくなくてもふとした瞬間に「あそこはわたしの体重に耐えられるだろうか?」なんて考えている。もし吊ると決めたら、時間の余裕があれば丸1日ばかり断食断水を行って腸を空っぽにしたい。そんな余裕がなければ、身体の下に布団やマットレスを敷いておこう。

最初にわたしがいないことに気づくのは誰だろうか?この時期だし、異臭に気づいて通報をする住人か。あるいはわたしと連絡がとれなくなって何かを悟るパートナーか。あるいは無断欠勤に疑問を抱く同僚か上司か。

家まで残り半分ほどの距離を残したところで、肩に痛みが出てきた。リュックサックが重い。汗もじんわりとかいてきた。さ、次だ。次はメッセージだ。

まずはパートナーにメッセージを残そう。あのひとはきっと自分を責めるだろうから、あなたのせいではないのよ、と伝えよう。むしろあなたと過ごせて楽しかったのよ、と。ただわたしはこの先何十年と続くであろう人生のプレッシャーに耐えられなくなって、すこしばかり疲れてしまっただけなの。大丈夫、あなたは自分が思っている以上に人に好かれているし、ずいぶんと前に進めたと思うの。きっとうまくいくから。重荷に負けてしまってごめんね。
次に家族にメッセージを残そう。母へのメッセージはとくに時間をかけて。父への手紙。弟への手紙。
ほかにもいくつか考える。うん、うん、これなら悔いも残らない。そうだ、財産はどうしようか。なけなしの貯金ではあるが、弟の学費にでも充てようか。一筆認めておこう。

そろそろ家が見えてきた。なんだかあまり帰りたくない気分だ。このまま歩き続けたらどうなるだろうか?
歩いて歩いて歩き続けて、足に肉刺ができても止まらず、その肉刺が潰れても止まらず、膿がじくじくと流れても止まらず、ただただ終わりを目指して歩こう。そしてついに倒れ込んでしまった時、その場でわたしは生を放棄しよう。せめて身体が壊れてしまう前に、空が高く緑がきらめく場所に辿りつけていると良い。嗚呼、死処がどうかすてきな場所でありますように、なんて。

あるいは倒れる前にすてきな場所をみつけてしまったら?「百万円と苦虫女」という作品を思い出した。鈴子のように、知らない地でのんびりとバイトをして、生きて、そして百万円が貯まったら次の町に行こう。そうしてまた新たな関係を培って、バイトをして、生きて、百万円が貯まったら次へ。なかなかよいではないか?だがそうするなら、わたしは「死んだもの」として生きてゆきたいのだ。すべてを捨てて、リセットして、だれもわたしのことを知らないところで、ひっそりと。しかし現実問題、それはほぼ不可能である。捜索願を出されたらすぐに見つかってしまうと思う。偽装死も今の技術をもってしては難しすぎる。

はあ、だめかあ、なんて内心ため息をついていたら家のドアの前についてしまった。鍵を開けて中に入る。まっくらで、しずかで、ものは多いくせに、なにもない家。これからわたしは風呂に入り、ゲームを遊び、すこし読書をしてから眠るだろう。そうしてまた1日生き延びてしまうのだ。死ぬ妄想を続けても、まだわたしは自分が死ぬ未来を明確に描けていないのだ。描けていない以上、まだ死ねない。ただそれだけのことである。

いらいらするものの話

ここ1,2ヶ月はよく荒れている。憂鬱になることが多く、気に食わないものが目につくことが増えた。全員消し去ってしまうか、あるいはわたしがすべてをシャットアウトして殻にこもってしまいたい、と頻繁に思う。後者のほうが安易だが、今のわたしにはせいぜいインターネットを切断して部屋に引きこもる程度のことしかできない。フラストレーションばかりが溜まり、不安や哀情などといった感情も怒りへと変形してゆく。本当、人と関わることは煩わしいことだらけで、可能ならばこの前旅で訪れた広大な地の片隅にひっそりと暮らしていきたい。

いち、テンポの悪い会話ややりとり。対面で話している時、会話に微妙な間が空いたり、はっきりと返事が返ってこないのが嫌だ。話すことがないのなら、必死に話題作りをせずに放っておいてくれ。文章でやりとりをしている時、大事なところで返信が遅くなったりすると嫌だ。自分のペースで、ながらメールができるという点では文章のやりとりは非常に優秀であるが、わたしがイライラしてくるのは例えば質問の途中であったり、相談事であったり、真面目な話の途中である場合で、いきなり返信が遅くなることである。つい数日前、知人が「相談がある」と言い出したのでわたしはそれに応じた。事情が一通り送られてくる。詳細が抜けていていまいち言いたいことがわからなかったので質問をしたらすぐに返ってきた。なるほど、と相談を理解したわたしはいくつか自分の考えを述べた上で、その知人の意見を問うた。返信がない。十数分後に返ってくる。返信を書く。また数分後に返ってくる。返信を書く。今度は十分。もうこの時点でわたしのイライラはマックスである。テンポが悪すぎる。わたしは向き合おうとしているのに、会話の流れがあまりにも途切れ途切れで腹ただしい。話すのか話さないのか、どっちかにしてほしい。ただ聞いてほしいだけなら、人間ではなく AI か何かにでも話しかければいい。iOS なら Siri がいるし、Android なら Google Assistant がいる。そいつらに聞いてもらえ。

に、ふわふわした女。もともとそういう頭の弱そうなふわふわ系とはあまり関わってこなかったが、ここ一年ほどはよく周囲に見かけるようになった。舌ったらずのようなふわっとした喋り方、聞き取りにくい小さい声、天然だと言われそうな雰囲気や言動。この前同僚の家で集まりがあったのでお邪魔したら、後からふわふわ系女子がやってきた。声がまず小さい。わたしのみならず、他の参加者たちも何度か聞き返している。たどたどしい喋り方。初対面ゆえ「はっきりしゃべって」とは言いたくなく、苛立ちは募るばかりなので距離を置くことにした。なるべく接点の薄い作業を率先してやり、彼女と喋らないようにした。書いていてふと思い出したが、そういえば学生の頃にもひとりこういう子がいた。わたしの知るふわふわ女はこの同級生を含め全員賢く、決して頭が弱いわけではない。なのでどうしてしっかり喋らないのかよくわからない。同僚の家で遭遇したあのふわふわ女とは共通の知人が多いが、皆どうやって付き合っていってるのか本当に理解ができないし、純粋にどう思っているのか知りたい。なんとも思っていないのだろうか?それともむしろかわいいと思っているのだろうか?少し気にはなるが嫌になるほどではないのだろうか?どうやらわたしの友達もその女と付き合いがあるらしく、互いに腹を割って話せる関係であるため愚痴りつつ「みんなどうやって付き合ってるの?わたしの心が狭いの?」とそれとなく聞いてみたが、「人には合う合わないがあるから仕方ないね」と言われた。どう思っているのかはよくわからないが、つまりみんなはそういうふわふわ人間が「合う」タイプで、わたしはああいうのが「合わない」ということなのだろうか。もしそうならば、わたしは圧倒的なマイノリティであり、なんだかわたしのほうが嫌な人間である。それはそれでべつにいいのだが、ああいうのが「合う」人ばかりだということが、わたしにとっては驚愕の事実であった。

さん、暑さ。これは人間が相手ではないので敗北しかないのだが、とにかく昔から暑いのが苦手だ。暑いとイライラしてくる。汗が垂れてくるとイライラが倍増する。食欲も減退し、食べることが大好きなわたしはいつものようにもりもり食べれなくなることにイライラ、そして満足な食事がとれないことによるエネルギー低下でまたイライラ。暑い時期はとにかくすべてが怒りに繋がり、そして目に映るすべてに殺意がわく。


まだまだ気に食わないことはあるが、暑さに胃がやられ固形物を何も摂取できていないことにまた苛立ちが募ってきたので、腹ごしらえのためにひとまず筆を置こう。に、に至ってはわたしがもっとも納得がいかないものであり、周囲の人間にいろいろと追求してみたい気持ちもあるが、それはそれで面倒なので結局もやもやとイライラを抱えたままわたしはひたすらそのような輩を避けて過ごしている。…さて、気分転換に錦糸卵を作ってそうめんでも茹でるとしよう。

縄張り意識の話

縄張り意識

縄張り(テリトリー)を意識すること。縄張りに反する他個体を排除する縄張り行動が見られること。

はてなキーワードより

よく考えてみると、わたしはこどもの頃から縄張り意識が強い気がする。どれも自分のエゴ丸出しのわがままな欲望であるのだが、とりあえず3つのカテゴリにわけて考えてみる。

 

1. 行動範囲の域

ストレートにわかりやすく「自分の物理的な縄張り」を持っている。たとえば昔通っていた小学校裏の公園はずっとわたしの遊び場であって、そこを荒らされるのを何よりも嫌がった。あの公園はわたしの所有物ではない。利用者もわたしだけではない。わたし以上にあの公園に足を運んで、あの公園を愛している人なんてたくさんいる。そんなのわかっているさ。でもそこじゃない。「ここはわたしが遊んでいる地だ、大事に使え、いいところだからぞんざいに扱うな」という感情を抱いていた。「おいにわか、そんなところ見るもんないぞ、バラ園を見るならこっちルートのほうが早い」という上から目線の先輩ヅラをしたくなる。攻撃的な感情ではないだけマシか。
他にも物理的なエリアを挙げるならば、自分の地元全体。繁華街だったり、ちょっと危なげな裏通りだったり。上記の公園の例と同じで「知ってるやつはこんなところに来ないぞ、穴場はあっちだ」という地元民ヅラ。攻撃的になるとするならば、「俺詳しいんだぜ」と得意げに有名スポットだけ挙げてる人に対する嫌悪感くらいか。「ちがうそこじゃない、ほんとに詳しいのか?人気スポットのまとめ記事を読んだだけだろ?」と決めつけてしまう節がある。頭の中だけに留めているので口に出すことはないが、まあそれでも心の中ではそんな悪態をついているのでどちらにせよ優しくはないな。


2. 仕事・得意分野の域

わたしが得意なところには踏み込まないでほしい。学生時代、グループワークで仕事を振り分けたのに、わたしが担当しているものをやたら手伝おうとする同級生がいた。べつにわたしの作業が遅れていたわけでもなく、クオリティが低かったわけでもない。何かその同級生の不安を煽る雰囲気を出していたのだろうか?あるいはただのお節介か。とにかくわたしは許せなかった。わたしが得意としているところで、わたしが責任を持ってやるところなのに、なんだおまえは。出ていけ。

仕事でも時折起きるからストレスが溜まる。わたしが担当している業務に別の人間が入ってこようとすると「ふたりもいらん、わけがわからなくなるから分けてくれ」と思う。○○といえばグラムさん、という地位は業務上とても便利だし、自分のモチベーションや自信にも関わってくる。何かに特化して、誰かが頼ってこれるほどの実力を身につけている、ということは非常にやる気が出る。境界線をあやふやにせず担当業務をはっきり分けたいタイプなので、「やりづらくなるからやめろ」という気持ちと「わたしが責任を持っているテリトリーに入ってくるな」という気持ちがある。

 

3.交流関係の域

このカテゴリがもっとも複雑なように思える。上2つ以上に強い不快感を示す。様々なパターンがあるが、大変エゴイスティックかつ排他的なのは承知の上でふたつ挙げる。
a) わたしの仲良しゾーンに入ってくる人
b) 親しい人しか呼ばない呼び名でわたしのことを呼んでくる人

上の例はわりとわかりやすいと思う。わたしはもともと仲良しゾーンが狭い上に人見知りなのもあって、そこに別の人が入ってくると自分の居場所がなくなってゆく気がしてつらくなる。やだ、だれ、あまりしらないひと、でていってほしい、という感情を抱く。もちろん、そうやって紹介されて仲良くなるパターンもきっとあるのだが、それ以上にリスクのほうが多くて嫌になる。時間をかけて実現することができたわたしの仲良しゾーンは安らぎを得られる「家」なので、外部の人間は脅威でしかない。頼むからわたしの交流関係に入ってくるな、と強く願う。

b の例は「なんだおまえ勝手に仲良しゾーンに入ってくるなや」という感情だ。呼び名くらいなんでもいいだろ、と思うかもしれないが、嫌なものは嫌である。難しいのは、その呼び名は必ずしも親しさを醸し出しているわけではない、ということだ。別段親密さを持たないようなふつうの呼び方でも、それが親しい人からの呼び名と被っている場合は完全にわたしの中ではアウトである。無難だと思いきや地雷だった、ということもおおいにありうるので厄介。というわけでわたしの名前に君をつけて呼ぶ人間はたとえ冗談でも許さない。

a の感情があるので、その逆の場合もわたしは少し戸惑ってしまう。だれかの仲良しゾーンにわたしが踏み込んでしまう時は、それがどれほど嫌なものなのか身を以て知っているので、とてつもない不安を抱く。わたしは間違ったことをしている、という錯覚に陥る。わかりやすい例を挙げるなら、パートナーの友人の集まりに初めて顔を出した時は緊張しすぎて吐きそうになっていた。嫌がられないかな、だれかの居場所を脅かす存在にはなりたくない、と(自意識過剰?知ってる知ってる)。もし本当に嫌がる人がいるのなら、入れない。恐怖と罪悪感で何もできなくなる。ここでよく勘違いされるのだが、わたしは「入りたくなくない」わけではない。入れてくれるなら入りたい(でも a で書いた通り自分からはあまり入れたくないタイプなのでただのわがままなクソ野郎である)。しかし拒絶された時のショックが本当に大きいので、もしそうなったらどうしよう… とやってみる前から不安でいっぱいになるのだ。ありがたいことにこの友人のみなさんには優しく接してもらえた。わたしはそんなに優しく迎え入れることはできない気がするので自分の器の小ささに辟易したが、それはまた別のおはなし。

b の逆パターンもある。親しい人しか呼ばない呼び名で自分の仲良しゾーンの人が外部の人間に呼ばれると死にたくなる。実例ではないが、似たようなシチュエーションとして友人 C という架空の人物を例にしてみよう。友人 C とはお互いに仲良しゾーン入りしていて、わたしは C のことを「C 子ちゃん」と呼んでいるとする。「C 子ちゃん」という呼び名は C に「こう呼んで欲しい」と指定された呼び名ではなく、わたしが仲良くなった頃からずっとそうやって呼んでいるだけだ。 C は嫌がってなく、その呼び名がわたしたちの間ではスタンダードとなっている。しかしある日、わたしの仲良しゾーン以外の人間 X が、C のことを「C 子ちゃん」と呼んでいるのを聞いてしまった。死にたくなった。嫌で嫌で仕方がなかった。X が C の仲良しゾーンにいるかどうかなんて関係ない。関係あることは「わたしの仲良しゾーンにいない」かつ「X よりもわたしのほうが C と仲が良い」ということである。自分よりも C との心理的距離が遠いはずの X が、親密な(少なくともわたしにとって親密な)呼び名を口にしているのが許せなくて許せなくて仕方がなかった。ひどい嫉妬のようだが、実際はわたしの中のだと a に似ていて「安らぎゾーンを脅かされている」という恐怖のほうに近い。わたしのポジションなのに、と居場所を脅かされて、もう安心できる場所ではなくなったような気持ち。X に対する嫌悪感はあまりない(というか X は別に悪くないから当たり前なんだけど)。呼び名が被っている、という事実に対して嫌悪感を抱く。クソ以外のなにものでもない。そしてそんな自分のクソさも嫌になる。これでもう立派な自己嫌悪のスパイラルが出来上がる。


いくつかのパターンを挙げたが、こうして縄張りを脅かされたわたしはとてつもない破壊衝動に襲われる。破壊の対象が縄張りそのものだから面倒である。縄張りを壊す、というよりは、わたしが離れてしまいたくなる。もう完璧なシャットアウト状態。損しかない行為だが、耐えられないのだ。他者に影響が及ぶほどの縄張り破壊は(かろうじて)良心がはたらいて思いとどまるが、自分から離れていって自分自身の縄張りをなかったことにしたくなる。

こうした自分自身の反応についてさらに考えると、ほかにもいくつか当てはまる傾向がある。たとえば「ルーチンに執着して、そこから逸脱するのが嫌」なこと。やり慣れたもの、見慣れた日常に変化が訪れると死にたくなる。2 の得意分野の例や、3 の呼び名の例なんかがこれに当てはまる気がする。もうひとつは「嫌なことが起きたり、誰かとの距離を感じたら、自分から離れていってさらに距離が広がる」ことだったり。なんとなく誰かと噛み合わなかったりすると、悩むのも不安になるのも嫌になってガラガラと心のドアを閉めてしまう。距離を置いてしまいたくなる。シャットアウトしがちな自分の性格が縄張り意識にも濃く現れている。

しかしまあ、ここまで書ききってなんだけど、わたしは扱いづらいを通り越してただの害悪なのではないか…?

Q1 のまとめ

過去のまとめ:Q1 | Q2 | Q3 | Q4


2017 年の第一四半期があっという間に過ぎていった。本当に… あっという間だった。


1月。年始は東京を離れてひっそりと過ごした。体調を崩したのが咳喘息に悪化し、夜通し咳が止まらず眠れぬ日が続いてずいぶんとつらかったのだが、それでも精神的に落ち着くような休みであった。仕事はきっちりこなしているのだが、どうもやる気が出ない。

2月。よく知っているひとが知らない人にみえた。いつもと違う喋り方、いつもと違う環境、いつもと違う対応。想像以上にストレスで、死んでしまいたくなった。自分でもうまく言葉にすることができず、一番の親友とも呼べるそのひとを拒絶したくなった。正確には、どうすればいいのかよくわからなくなって、シャットダウンをしてしまった感じに近いのかもしれない。あれは一体なんだったのか、今でもよくわからない。そんな数日を過ごし、再度東京を離れる頃にはいつものわたし、いつもの環境に戻っていた。後半はずいぶんと楽しかった記憶がある。

3月。アメリカにて一週間を過ごした。仕事から帰ってきてひたすらゲームを遊ぶ毎日で、特別なことなど何もしていないのだが、とてもしあわせであった。穏やかな日常というものはわたしの精神を落ち着かせてくれる。帰国後は自身の仕事や今後のキャリアパスについて悩んだ。わたしはもうこのチームには長く居られないだろう。

Q1 の 1/3 ほどは東京以外の地で過ごしたようだ。よいことである。
仕事のことで悩むことが増えた。もう、わたしにできることはあまりないのかもしれない。やりたいと思っていたことはだいたいやってしまった。チームの方向性も少しずつ変わっていき、出来ることややりたいことがなくなっていった。

異動のチャンスは常にうかがっているのだが、タイミングがなかなか合わない。

2016 年中にやりたいと思っていたことが「異動」以外にもいくつかあったのだが… あまりできていない。わたしがすべてコントロールできるようなことではないので、ある程度は仕方のないことだとわかっている。わかってはいるのだが、とても気にかかってしまう。嗚呼、もう Q1 が終わってしまったのか。わたしはいつになれば…。なんてことを考えることが増えて、落ち込む回数もぐっと増えた。仕事を変えなければ。暮らしている環境を変えなければ。わたしはただ健やかに過ごしていきたいだけなのに、どうしてこうも難しいのだろうか。 

早起きがだんだん苦痛になってきた。早起きという行為自体は問題ないのだが、1日が長すぎるのだ。毎朝起きて、今日はどんなことで落ち込むだろうか、今日もまた悩むのだろうか、とこれから始まる長い長い1日に絶望感を抱くことが多い。気力がなくて、布団から出れない。

今日はとくにひどくて、早朝に目が覚めたものの夕方になるまで布団から出ることができなかった。大好きなゲームをやる気にもなれず、携帯でネットサーフィンをしているわけでもなく、ただぼうっと天井や壁を眺めて過ごした。死んだり生き返ったりを何度も繰り返すうちに珍しく昼寝をしてしまい、起きた時は低血圧なのも相まって冷たい哀しみに浸かっていた。1日の終わりに親友とすこし話す機会があって、この得体のしれぬ悩みや仕事に対する不安をぽつぽつと話した。会話を交わし、やさしさに触れるうちに心がなんだか軽くなり、夜になってようやく布団から脱出してゲームを遊んでみた。おもしろかった。

しかしまあ、Q2 が毎日こんな感じだったらわたしは頭がおかしくなってしまうかもしれない。最近は職場に行ってもやる気がなく、あまりの居心地の悪さに夕方には退社をしてしまう。どうか Q1 よりも悪化せぬよう祈るばかりだ。

哀しみの話

もともと感情移入がしやすい性格なので他者の悲しみに、他者のために、涙を流すことはあれど、今日はひさしぶりに自分のために泣いた。自分だけのために。想像以上の痛みであった。自身を憐れむわけではなく、それを「哀しい」と認識するのが非常に苦しかった。


人はどのようにして哀しみを克服すればよいのだろうか。自己開示を経て、他者に救いを求めればよいのだろうか。あるいはひとりで向き合って、昇華させればよいのだろうか。わたしにはわからない。


わたしは自分に失望をしたのだ。他者に失望した自分にひどく失望をした、ただそれだけのことなのかもしれない。


わたしは自分の立ち位置を見失ってしまったのだ。見慣れたひとはもうそこにはおらず、わたしは、どんな顔で、どのように、人間らしく振る舞えばよいのだろうか。わたしは「わたし」を放棄するのがいちばん怖いのに、なるほど、わたしは放棄を繰り返しているのだ。そう気づいて、深い哀しみに包まれた。わたしを取り戻す手立ては、今のところ残念ながらない。耐え忍ぶのみだ。自身を否定し続けることはこんなにも心が抉れるようなことだったのか。自己肯定がまるでできなかった何年も前のあの頃、生きる楽しさを見出せなかったことに、納得。

余命宣告されたらの話

友達と1週間ぶりに会った。たったの1週間ではあるのだが、以前は同じビル、わたしの数メートル先のデスクに座っていて毎日お話をしていたので、なんだか少し変な気分だった。

とても楽しく、ひさしぶりに涙が出るほど笑ったのだが、ふとしたきっかけで「いつ死ぬかわからないもんね」という話をした。
ある日突然死神が来て「明日死にます」と言われたらどうする?ある日突然医者に「余命3ヶ月です」と言われたらどうする?そんな問い。


明日死ぬ、あるいは余命3ヶ月、と言われたらどうするだろう。


現実的な話をするなら、まず今ある貯金、私物、
諸々の遺品となるものの受け取り手を決めるだろう。今住んでいる賃貸マンションの連帯保証人に連絡を入れたり、大事なものを処分するなり譲るなりする。遺書は絶対に残す。筆を取り、思いのままに書く。


イムリミットが明日の場合は、少し時間が足りない。
きっと1日のうちに好きなものをできるだけ詰め込むだろう。主に食に関することだと思われる。

イムリミットが3ヶ月の場合は、人生のうちにやりたかったことをやる。
休職をし、
その日のうちにヘブリディーズへの航空券を購入する。
城の崎で小説を執筆する。
着物を身に纏ってお気に入りの噺『明烏
』を聴く。
卒業校を訪れてキャンパス内の大木にくくられたブランコに座って読書をする。
遠方の知り合いに会いに行く。


それらを叶えていくとき、
あいするひとが側にいればしあわせよね、と大真面目に言ったら、友達は「やだ、あなたからそんなロマンチックな話を聞くなんて」と笑った。

じゃあきみは?今付き合ってるひとのこと、愛してないの?そばにいたくないの?」と聞いたら、友達はすこしだけ表情を引き締めて、「愛とかわからないけど、まあ一緒に過ごしたいよね」と答えた。


わたしが最後の時間を過ごすとき、だれが隣にいるのだろうか。そんなことを考えながら、帰路についた。

きらきらした部活ライフを過ごせなかったことの話

わたしは中学の頃バスケットボール部に所属していた。せっかく中学生になったのだから何か運動部に所属しなければ、と思った。部活に所属して、きらきらと輝く青春を送ってみたかった。わたしは日々をだれかと共有がしたかった。一緒に悔しくなって、一生懸命練習して、時には衝突をしながら、全力投球の学生生活を過ごしたかった。

中学1年になり、バレーボール部に入部した。すこし憧れていた。現在は JT サンダースのウィングスパイカーとして活躍中の男子バレー選手 越川優に当時惚れ込んでいた。長身から力強く放たれるプレーがとにかくかっこよかった。身長は130cmもなく、ひょろひょろで、かつバレーボール経験なんて体育の授業くらいしかなかった12歳のわたしには到底叶わないような人だったが、それでも勢いで入部した。部では当たり前のようにベンチプレイヤーではあったが、練習に励み、スパイクができないのならせめてレシーブを、と積極的に先輩のサーブやスパイクの受け手にまわった。しかし残念ながら想像していたほどのきらきらはわたしみたいなベンチ選手とは無縁のもので、バレーボール自体は面白かったものの、苦しくも楽しくもない部活生活を送った。

中学2年になり、バレーボール部からバスケットボール部にうつった。スラムダンクを読んだこともなければ、NBA の試合を観たこともなかった。かろうじてマイケルジョーダンの名前を知っていたくらいだった。なぜ自分がバスケットボール部を選んだのかは今となってはまったく覚えていないし、理解もできない。それでもわたしは途中から入部し、効き手ではない左手で上手にドリブルする練習を続けた。
どういうわけか、試合には出してもらえた。
まだまだ身長はなく、背の高い選手たちにもみくちゃにされていたので、ポイントガードに任命された。わたしはポイントガードを務めることが誇りだった。ポイントガードはチームのブレインで、司令塔で、的確な判断を下すことができるとコーチに評価されたと感じた。

そのうちスタメンにも選ばれた。小さかった分、よく相手選手になめられていたのだが、それを利用してわたしは相手のファールを誘うのが非常にうまかった。嫌な選手が相手にいたら積極的にファールをもらいにいって、選手をベンチに追いやった。バスケットボールでは1試合での個人ファールが増えると強制的にベンチ戻されるので、危なくなってくると大抵のコーチはその選手を引っ込めた。

それは快感だった。あんなに大きくて強気な子を無力化できるのはわたしにしかできないことだと自信をつけた。さらに、相手チームに一定数以上のファールがあると、次からはファールが出る度にこちらがフリースローチャンスをもらえる。わたしがファールをとってくればとってくるほど、得点のチャンスがついてくるのだ。それもフリースロー。だれにも邪魔されることのないフリースローは楽な点数稼ぎの方法だった。

コーチに「フリースローの腕を磨け」と言われた。あくまでもわたしは指示を出してパスを回す役なので、派手に切り込んで点数を入れる機会はそれほど多くはなかった。コーチはわたしのことを「影の人」と形容した。いくらわたしが上手なアシストをしてもスコアブックには載らない、影の人。しかしファールを誘うことによってわたしにはフリースローをする権利が与えられるのだ。それらをすべて決めることによってわたしの狡くてすばしっこいプレーが完成されると思った。ひたすらフリースローの練習を重ねた。何かに打ち込む姿は、わたしにとってはきらきらとした経験だった。しかし、わたしはひとりだった。みんなはドリブルやレイアップや3ポイントシュートの練習ばかりしていた。地味な練習を続けるわたしにはだれも声をかけてくれなかった。ただ、試合でフリースローを決めて加点をすれば、みんなが背中を叩き、肩に手をまわしてわたしを目一杯褒めてくれた。それだけでわたしは十分うれしかった。フリースローの瞬間はだれもがわたしに注目している。固唾を飲んで、物音ひとつ立てずにわたしのいつものフリースロー前のルーチン(2度バウンドさせてからボールを1回転させる、わたしなりのおまじない)を見つめ、全員の視線を浴びながらすっと構える瞬間がとても好きだった。外したらすぐにリバウンドをとってやろう、という強い意思が敵味方構わず、自分の両側に待機した人たちから感じられた。わたしが見事に決めると、飛びつこうと前かがみになっていた人たちが一斉に脱力した。それがすごく、すごくたのしかった。


中学2年が終わる頃、わたしのフリースローの成功率は7割強だった。決して悪くない数字だった。3年生に上がり、わたしは部長になった。わたしの学校の部活はコーチがすべてを決めていた。コーチは、1年の頃からずっとスタメンだった子ではなく、ぽっと出のわたしに、部長のエンブレムが入ったユニフォームを渡した。本来ならば早い者勝ちであるユニフォームの番号も、部長権限ということで一番はじめに選ばせてくれた。2年生に入部した時、残っていたものから適当に選んだ背番号22番。去年もお世話になったユニフォームを手に、わたしはさらにフリースローを磨き、ドリブルの腕も上げた。

試合が楽しくて仕方がなかった。センターラインで待ち構えている相手選手を華麗なドリブルでかわし、正反対の方向を見ながらパスを送るフェイントも覚え、プライドの高いセンターの子にファウルを背負わせた。おかげでわたしはよく吹っ飛んでいた。文字通り、吹っ飛んでいた。ジャンプ中にすごい勢いで横から突き飛ばされて、わたしは空中で半回転をして大きな音を立てて地面にひれ伏したことがあった。肺から空気が抜け、息ができなかった。空気をいれようとしたら咳が出た。試合を観に来ていた母に「すごい音がして、一気に体育館がしーんとなった。あなたがしばらく動かなくて本当にこわかった」とその晩言われたのをよく覚えている。突き指や捻挫も日常茶飯事だった。いつも通っていた外科医に「また?」という顔をされるようになり、一度だけ、足の靭帯を一度にすべてひねった時は「完治しないかもしれない、無理をするな」と叱られた。サポーターを巻いて試合に出て無理をした結果、その足は今でも雨の日や冬の寒い日、あるいは高いヒールを何日か続けて履くと痛む。


しかしそこまでしても、わたしはきらきらとした部活ライフを送ることはできなかった。コーチにはたいそう可愛がられたが、みんなにとってはわたしはどこまでも「フリースローくらいしかできないくせに部長になったチビ」だった。もっとも、わたしはその1年で30cm伸びたので、「フリースローくらいしかできないくせに部長になったやつ」に昇格したのだが。

なんだか孤独だった。切磋琢磨、という言葉とは程遠い練習だった。陰湿ないじめはなかったものの、いないものとして扱われることはよくあった。


ある日の練習試合のこと。その日はひどい雨に見舞われた。バスで1時間とすこしの他校での練習試合。2試合やるのだが、間にお昼休憩をはさむ。お弁当を持ってくる子は少なく、大抵は学校近くのコンビニで買ってきたり、ファミレスでみんな済ませていた。その日も1試合目が終わり、だれかが「お昼行こう!」と声をかけていた。わたしの隣に座っていた子が誘われた。わたしの後ろに座っていた子も誘われた。わたしは誘われなかった。

かわいそう、と思われるのだけは絶対に避けたかった。声をかけられないのは惨めではない。けれど、他人に心配されたり同情されるのは、すごく嫌だった。とっさに携帯を開いて、だれにもかけていないのに、母と話すふりをした。電話中だったから声をかけることができなかった、という言い訳を作り上げた。みんながお昼に出て行き、更衣室にひとり取り残されたわたしは、どうすればいいのかわからなかった。いつもなら近くのコンビニでお弁当を買って更衣室で急いで食べて残り時間を練習にあてるのだが、いかんせん初めてくる学校、初めてくる町だった。どこに何があるのかわからなかった。外に出ようとしたが、ひどい雨で、折りたたみ傘しか持っていなかったわたしは探し回る気力などなかった。

その日、わたしはバスの中で食べる用に前日買って持って来ていた果汁グミ(ぶどう)で空腹をしのいだ。

 

こういうのばかりだった。わたしにはライバルもいなければ、信頼できるチームメイトもいなかった。わたしが持っていたのは、フリースロー成功率95%という実績と、試合に勝った時だけハイタッチをしてくれるチームメイトだけだった。みんなとは不仲というほどでもなかったので、コーチは何も言わなかった。ただただ、とても真面目に、わたしのプレーを指導してくれた。高校に上がってからもバスケットボール部でスタメンを務めることができたのは、わたしの地味なプレーを肯定してモチベーションを上げてくれたコーチのおかげだと思っている。

 

インターハイ出場という夢に向かって部活に励む知り合いの子の話を聞いて、全力で応援してあげたい気持ちがうまれた。嘘偽りない気持ちだ。それでも、心の片隅で、怪我をして挫折をしたらどうなるのだろう、とよくわからない期待をしている部分もあった。しかしきっとその悔しさも、今まで一緒に頑張ってきたチームメイトたちと共有ができるのだろう、と気づく。彼はきらきらしているのだな、と思った。


わたしはもう社会人だ。某少年漫画で読むような熱い友情も、涙が出るような悔しさも、励み合って取り組める仲間の存在もなかった。もう遅いのだ。それは、すこし、さみしい。